Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2005年09月24日(土) |
海童道宗祖(わたづみどうしゅうそ)の『法竹』とアヴァランチェーズの『シンス・アイ・レフト・ユー』の発掘。 |
わ!こんなところに落ちてた!ほこりまみれになって本棚のウラから発掘された海童道宗祖(わたづみどうしゅうそ)の『法竹』(ほっちく)■とアヴァランチェーズの『シンス・アイ・レフト・ユー』。 わたしの部屋は音楽樹海である。部屋じゅうにうっそうとLP箱が密生しており、どこにどんな貴重LPが眠っているのか、わたしも知らない。 樹海の中に海童道宗祖の音が響く。
海童道宗祖の音はタルコフスキーの『サクリファイス』で使われている>■ 実際のところ、音楽は楽理ではなく、気であり、念力であり、意識であり、態度であり、ひとなのである。 この点で言えば、早々に音楽から見切りをつけてしまったミルフォード・グレイヴスに、誰もが実はえいえんの遅れを取ってしまっている。 鬼籍に入った高木元輝や阿部薫はこのことを確実に現役時に知ってしまっていた。 高柳昌行なぞはその知見を前提に音を放っていた。
アヴァランチェーズを聴くと、渋谷を歩いて恋に落ちてゆく、かんじがする。 シンス・アイ・レフト・ユー、きみがいなくなってから。きみがいなくなったのに、この情熱的に切ない喧騒はなんだろう。音は示している、えいえんのせき立て。ラカンの心理学は、せき立てこそが人生を前に進ませている事象を浮き彫りにしている。 喘ぐように走るとき、ひとは生きていることをくちの中のうっすらとした血の味に求める。
たまごごはんばかりたべていたら、コレステロール値が健康診断でひっかかった。
即興演奏でモンダイになるのは、たぶんそこだろう。じゃない演奏はもういい。そんな即興はもういい。
肉はもういい!飲ま、飲ま、イエイ。
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