Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年12月09日(木) |
ありがとう、ミスターメシニー。 |
メセニーに会ったのは何年前だったろう。ソロアルバムを出す前のライルメイズにインタビューを申し込んだECMファンクラブ時代だ。 そのメセニーから、新譜が届いた。
わたしのメセニーに対する耳は厳しい。 メセニーの最高傑作は『シークレット・ストーリー』と『カルテット』である。 『イマジナリー・デイ』はピカソギターに基いた習作に過ぎぬ、ジム・ホールとのデュオでは後ろを取られまくってとほほと苦笑いしているメセニーを看破してしまうわたしは、ルーティン化された興行にも厳しく接するようになり、やがて、接しなくなってしまった。 思い返すと、『オフランプ』は特別な作品だ。スタジオ録音を聴いているのに、あまたのライヴ演奏を同時に脳内再生させてはあはあ息をしてしまうくらい好きである。
そして21世紀になって、メセニーは彼の経歴を統合してあまりある傑作をここに呈示してきた。
なんという怖ろしいオトコだ、パット・メセニー。 キーワードは転調とシンコペーションだろう。 おそらくここ10年単位の音楽史の俯瞰しなおしが我々音楽リスナーに要請されることであろう。 そこには、ミューヨークのメインストリーマーたちが格闘する響きに対する熱気とか、ブライアン・ウイルソン『スマイル』の奇蹟の浮上や、ミスチル櫻井の「天頂バス」に見せた本能までが、同一直線上に見渡せるところ、と、言えはしないだろうか。
たぶん、「ファースト・サークル」の完全調和感に圧倒された時以来のモンだな。
ただもんだいはひとつだけ。わたしはトラック1を聴いてアルバムを最期まで観終わっていた。 トラック1を3回聴いて、4日間は心拍と乱数と調性の色彩で意識が展開し続けてしまった。 これは直感的な物言いなのだけれど、ぼくの意識のまわりに4つの進行軸が空間的に配置されていて、わたしは併走しながら高速飛行するような面持ちなのだ。 この歓びを、たぶんあたりまえのように知ってしまったぼくたちは。
メセニーが投げかけた核心はこのカンジなのか。ありがとう、ミスターメシニー。
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