Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年12月06日(月) |
オレンジレンジ、ハンコック、長木誠司、季刊誌『前夜』、高橋哲哉、ピーターバラカン、ハルカリと谷川俊太郎、など |
「はん・なん・びん・らん・のん、よおに・・・」(鼻つまんで納豆くちに入れて歌うんじゃねー!蓄膿か、おめー。・・・歯、磨け!・・・髪、切れ!) 「ケンカして、愛し合って、いろんな壁ふたりで乗り越えて、生まれ変わっても、あなたに会いたい。」、くわっ!、おめーたちにとってだけの“壁”を乗り越えるんやろ?ドレッシングの趣味が合わないわねー、とか、読売新聞の勧誘に負けちゃったわー、とか、おっぱいかじりながらいれてほしいのー、とか、となりのダンナよりはやく出世してねー、とか、ネクタイはわたしの趣味に合わせてねー、とか、そんなどーでもいー壁乗り越えて、もー生まれ変わったらおめーら風呂場のなめくじじゃ、熱湯でとろろんじゃ。成敗したる。
んで、曲のタイトルは「花」だって。「花」ってタイトルを、どういう覚悟で使えるのか。知らんやろ、おい、こら、オレンジレンジ。殿中でござるぞ。 ・・・と、ここまで書いといて。・・・ま、中学生以下が好む曲だというなら、いいですよん。
「チキンライス」とかいう曲は・・・こんな曲を“聴く”というだけで、半径10メートル以内には近づいてほしーない。年令不問。誰の曲や? 「きみの好きなひとと百年続きますように〜」、無理無理、不可能。おまえら何歳まで生きられるん?誰の曲や?
平原綾香のシングル「Blessing祝福」の4分52秒目(たしか)と5分20秒目(たしか)にケータイの着信音が鳴るって知ってた? ほとんど意味のない音加工ゆえ、制作上のミスなのであろう。
さて、昨日はアジカンのライブに行ったわけだが。はっきり言って40過ぎてアジカンにはまっているオヤジなんてのは、状況的に痛すぎ。身の程を知れ。40過ぎてアジカン聴いている、つうのは、郊外のスーパーで遊戯王デュエルモンスターカード対戦に小学生相手に真剣にカードを繰っている40過ぎのオヤジ、と、同等に、キモい。まじ、キモい。じっと手を見る。わしじゃ。
どうなんだろうねえ。ハービー・ハンコックの新譜聴いてそれなりに慰みを得るようにうなずくオヤジよりは百倍は上等だと思いますが。フューチャーショック、って、将来こんな作品で持てはやされ続けたジャズ演奏家がいたことに驚かれる、ということなのかー。残念ー!60過ぎてもう指動いてませんからー!ウォーターメロンパン斬りー!
アジカンを、日本語の、現代詩の、辻説法の、語り芸の、可能性といった文脈で接している40過ぎに限り、聴取を許可する。以上。
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おい、まことくん。いま、音楽批評は必要とされていない、と、きみはいうが、どういう意味なのか、その意味するところを語彙から含めて初歩からご指導ねがいます。
レコード芸術12月号をめくっていたら。 現代曲のコーナーで、長木“ミスターエクスムジカ”誠司さんが、現代曲のスタンダードばかりを集めたピアノ作品集をリリースした新人ピアニストに対し、たぶん、演奏家として二度と立ち上がれないほどの罵倒に感ぜられる批評を呈示していた。読んでみたまえ。結構な読みごたえ。 公開処刑。公開屠殺。 彼はきっと死刑廃止論者ではないだろう。
これくらいの批評を、ジャズの批評界はついに果たせないままのようである。よく吠える犬のようなひとがパッチワークをしているが。
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きのう予告したピーターバラカンさんのこと、って、バラカンさんが書いた記事を見つけたという情報です。
季刊『前夜』■の創刊号、に、群馬県太田市の本屋で遭遇する。特集は「文化と抵抗」。 高橋哲哉のロングインタビューが掲載されている。 高橋哲哉と小室哲哉は似ている。名前だけではない。 実はそれぞれの分野で史的に重要な仕事をしているにもかかわらず、一般的にそうは思われていないふしがあるところがそっくりである。 もちろん顔なんかもそっくりであって、入れ替わっても誰もわからないはずである。見てわかるのはわたしぐらいかもしれない。 あ、ときどき入れ替わってるな。 「王子と乞食」だな。 どっちが乞食なのだ?予想されている収入から推察するにおのずと答えは出てきそうなものである。
そんなオバカなハナシをしようと思ったのではない。
この季刊『前夜』・・・、って、このタイトル。あ。・・・よあーけわーちかいー、と、歌った岡林信康の思考の遺伝子を持っているのではないか? すなわち、この雑誌で語られる抵抗という概念は、岡林信康の背景としてのキリスト教のもたらす諸力を補完しているのではないか?
やだな。文化と抵抗、なんて、カビくさい固くなったカステラのような用語は。アクチュアリティに欠ける。楽しそうじゃない。面白そうじゃない。 闘う、と、言ったときに、相手の所在に行き当たれない、わたしの心臓をわし掴みにして苦しめているこの凶悪な腕を左手でナイフを突き刺したら、それは自分の右腕だった、自慢の右腕だった、という、そんな中にあって。 複素数と微分方程式の世界にあって、1たす1はー、と、10進法しかも自然数の世界で、そういう世界とも知れずに考えているような。
読む前に“抵抗”をおぼえてしまったぜ。また話題がズレたな。
幼少の頃、音楽好きのお母さんがビリー・ホリディの『奇妙な果実』を聴いているのを、そばで体験しながら育ったピーター・バラカンさんが、この季刊誌『前夜』に寄稿している。 タイトルは「プロテスト・ソング(抵抗の歌)10」。10曲のプロテスト・ソングをDJ形式で紹介している。
曲目はここでは紹介しない。この季刊誌を書いたまえ。それが礼儀じゃ。バラカンさん、このコンピレーションCDを作ってほしいです。
ちなみに、季刊『前夜』のアンケート回答者の中に平井玄さんの名を発見したゆえ、コンプリート指定となりました。 なんかこのテキストは好きだ。 「破局前夜が新生前夜となる 戦争前夜が解放前夜となる その希な望みを、私たちは棄てない。」 万馬券をどかっと買う、あの途方も無い、ほとんどありえないゴールシーンの幻視状態、の、ウキウキに似ている。 ・・・きっと直線一気ごぼう抜きだ・・・
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ハルカリのニューアルバムに谷川俊太郎が参加している。わかってらっしゃる。お互い。
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