Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年06月02日(水) |
川瀬智子・秀島史香・斎藤かぐみ・妄想満月/Mr.Children・Lookout Farm / Walter Quintus・5月5日ホセマセダ逝去 |
こないだラジオつけたらTommy heavenly6(■)の新曲「Hey my friend」がかかって、すぐに川瀬智子の声だとわかって、「こ、これはブリグリで、かな?トミフェブで、かな?」と思案していたら、急に耳元でひでしまふみか(秀島史香)のナレーションが曲を紹介して。この至極ありふれたラジオの瞬間に。息をのんだ。
どっちもいいカンジに仕上がってきて、そろそろリーチかけてもいいし、一巡待ってもいいかな、なんて思っている、同級生のくみちゃんと後輩のきょうこちゃん、と、図書館の夕暮れに2階フロアと階段の踊り場の2箇所から同時に「あ、ただくん!」と声を同時にかけられてしまった、1984年の初秋のように、息をのんだ。
川瀬智子と秀島史香と、どうしたらいいんだ。究極の選択だった。・・・ただは、硬直した。・・・あっちは硬直してなかった。・・・プロジェクトX!
ちがうちがう、書きたかったのは、こっち。斎藤かぐみちゃんの先見日記5月28日号「三つの話」(■)。 斎藤かぐみちゃん、て、ル・モンド・ディプロ日本語電子版発行人、というひとらしく。先週の先見日記5月21日号「交換可能な死体」(■)で、ちょっと注目しはじめたのだけど。ググると「斎藤かぐみの物置」(■)というサイトがあり。 さらに6月5日にこんなイベントが!>■日本は中東をどのように伝えてきたのか“私ならパレスチナ、イラク、アフガニスタンをこう伝える” 国際ニュース解説の田中宇(たなかさかい)さんも参加するジャーナリスト志望者必須のイベントだ。
かぐみちゃんのプロフを読むと。 “指向性の切れっ端:パティ・スミス、マイケル・ナイマンの音楽、弦のグリッサンド、南のリズム、カンディンスキーのペインティング、モローの彩色画、ルドンのパステル、空と海の青の抽象、一部の現代詩、「気狂いピエロ」他もろもろの映画、プラハの街並、香辛料、ランボー、初期の松浦理英子、坂口安吾のすわった肝、「フーコーの振り子」、「L'ecume des jours」、「Opponax」、ムイシュキン公爵、健全に不健全な人々、賢しらでなく賢い人々、ストイックな情熱、変容をもたらす対話。” と、あり。 知性は、彼女で決まりだ。こんなステキなプロフを書ける女性は、ほかに居るかー?満天の夜空に叫びたい気持ちだ。
顔が川瀬智子で、声が秀島史香で、知性が斎藤かぐみで、・・・しかし、おんなはバケモノだと思うぞ。じっさい。(・・・意味不明な展開・・・)
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ミスチルのニューシングル「sign」とカップリングされていた「妄想満月」。 夜の公園で偶然すれ違った女性に“きみのからだのみだれをおしえて”と妄想してしまう桜井、という歌。 “歌自体”と“桜井和寿個人”を分離させて音楽を思考すべきだ、という助言をありがとう。
一部のファンが桜井の妄想が足りない!と指摘するが、“きみのからだのみだれをおしえて”というフレーズを、ジャジーな軽いアレンジにのせて、そして彼女が連れたイヌが吠える(野性の暗示と彼女のつながり)という秀逸なシチュエーションとの合わせ技を感じなくてはならない。そして犬の吠える声が“満月への遠吠え”や“変身するオオカミ”といったイメージにきちんとつながっていることは言うまでもない。 だめだなあ、まだまだミスチル・リスナーとは言えないなあ、ピノコちゃん。
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ひそかに注目しているジャズ評論家・須藤克治さん(■)の書き込みで知ったデイブ・リーブマンとリッチー・バイラークの3枚組ボックス。>■ ルックアウト・ファームでの演奏、リーブマンとバイラークのデュオ、クエスト(!)の演奏、が、それぞれCD1枚になっている。
この3枚とも、リミックスしてんのはCMPのWalter Quintus(ワルター・キンテス■・■)というおっさんで、Ulrich Lask(ウルリッヒ・ラスク)とともにLaskというユニット(ECMに2枚、CMPに1枚、いずれもこの世のもっとも奇矯な音楽を潜ませている怪盤たちだ)に演奏者として深く関わっている謎の人物。
このキンテスは、プロデューサーとしては、それこそデヴィット・トーンやら、ビル・フリーゼル、ミック・カーン、リチャード・バビイエリ、スティーブ・ジャンセンといった・・・ジャパン〜デビシル〜坂本龍一〜小林武史〜ミスチルにわたしが強引に引き寄せてもいる、方々たちともツーカーでありながら、やはり写真やサイトを見ると、ちょっとあちら側というか、かなりステキなおじさまである。わたしは、はっきり、好きだ。
なんて思いながらこのボックスを聴いているのはわたしだけだろう。ボックスのシリアル、5000セット限定なのに、95番だった。売れてねー!
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5月5日に、フィリピンの現代音楽の作曲家ホセ・マセダ(■・■)さんが逝去されていた。
> マセダの思い出 高橋悠治(■) ここで高橋悠治は、97年の京都でクセナキスとマセダと3にんで会ったシーンに言及している。
グローバリゼーションというのは、植民地時代の頃からの、日本でいえばフランシスコ・ザビエル(髪型で有名だよね>ピノコちゃん)からの、キリスト教の伝道と植民地経営と、音楽でいえば、西洋音楽による世界各地にあったそれぞれ独自の音楽システムや表現手段を根こそぎ奪って土地改良を施してゆくという「耳の殺戮」をしていく、そういう過程なわけですが。いま、かなり末期ガンっぽいよね。
この高橋悠治、クセナキス、マセダというのは、そういう西洋音楽にアンチもしくはオルタナティブを徹底的に提起し続けている作曲家だ。
わたし(ただ)も、実はサントリーホールでホセ・マセダの作品をステージで演奏している。たしか「カセット100」というタイトルの作品だ。自分の身体が100の音の響きの中で、それまで知らなかった開放感を味わっていたのを記憶している。当時、ホセ・マセダのコンセプトをアタマでは理解する知性がぼくにはなかったけども。
リレーしよう。音楽をリレーしよう。それぞれのやり方で、あきらめないで、リレーしよう。そう思う。
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