Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年03月19日(金) 高木元輝

会えるはずのない場所で誰かに出会い、また二度と会うことがないことを了解しあいながら、「がんばってね」とほほえみあう。



昨年復刻された『モスラフライト / 高木元輝』に出会うまで、誰も高木元輝の名をおしえてくれなかった。
今頃知ったのか、と、みんなに言われそうだ。
こういう喪失感を感じたのはいつ以来のことだっただろう。
このロヴァ耳日記に書いていることには価値はないのです、ただ読んだかたに、なにかにアクセスできてほしい、気がします。

高木元輝で検索したら、こんなテキストが出てきました。いつものごとく勝手にリンク貼ります。

■松岡正剛の千夜千冊(第三百四十二夜)



「高木元輝さん、て、亡くなっていたのですか?」

「ええ、あのイベントの当日だったそうです。」

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■間章 没後24周年記念イベント概要
    12+12=24 間章 "ライブとAA上映"

企画意図
1960年代から70年代にかけて時代を駆け抜け、1978年に32歳という若さで生涯を閉じた音楽批評家がいました。彼の名は間章(あいだ・あきら)。ジャズ批評家として出発し、ただ音楽を批評しただけでなく、優れた演奏家を見いだして、触発するために彼らの音楽活動場所を設けるなど、パフォーマーと聴衆を常に刺激する存在でした。近藤等則、坂本龍一といった世界で活躍するミュージシャンも間のフィールドから旅立っていったのです。またフリージャズ、シャンソン、プログレッシブ・ロックといった、間が発見し、紹介してきた音楽は新しい時代の潮流として、いまも引き継がれています。

そして2002年。間章が死去して24年、間の再評価の機運が高まりつつあります。きっかけは、青山真治監督による間章のドキュメンタリー、「AA」制作です。青山監督は「ユリイカ」(2000年)がカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞し、同作を自らノベライズした作品で第9回三島由紀夫賞も受賞した気鋭の映画監督です。

この「AA」撮影中、間章の生まれ故郷、新潟市のロケでのこと。ご健在の間のお母さんが、80歳になったのを機に、同市中心部で長年経営してきた喫茶店を閉めることになったのです。この店の名前は「マンハイム」といい、間が生前、まだ無名のミュージシャンを呼んでは演奏活動の場として提供していたのですが、それを懐かしむお母さんがぽつりと「最後にもう一度、ライブをやってにぎやかに終わりたいね」とつぶやいたのです。このお母さんの夢をなんとかかなえてあげたい。青山監督をはじめ、若いスタッフ、新潟で協力した人々がそういう願いで一致し、その店でライブ&上映会を行うことになりました。この12月12日は間の命日です。

出演者は、いまや世界的なトランペッターとなった近藤等則をはじめ、ピーターブルック劇団の音楽監督でパーカッションの土取利行、サックスの高木元輝、ドラムスの豊住芳三郎。いずれもジャズファンなら見過ごすことのできない方ばかりで、4人とも「間さんのためなら」と、今回の趣旨に賛同いただき新潟までおいでいただけることになりました。この豪華な顔ぶれのライブはおそらく最初で最後となります。今回はライブ中心のため、「AA」はダイジェストの上映となります。
開催日時:2002年12月12日(木曜日)(間章の命日)午後6時半開場、7時開演
会  場:カフェ&ラウンジSTYLE マンハイム(新潟市西堀前通)
料  金:7000円(ワンドリンク付き) 限定100人、スタンディング、当日券なし
出演者:(間章年譜登場順)
 高木 元輝、豊住芳三郎、近藤 等則、土取 利行
同時上映:「AA」(監督:青山真治)


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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