日記...マママ

 

 

何を書こうとしたのか途中で忘れました - 2005年03月10日(木)

小学校の先生が子供達との日々のやり取りを淡々と綴った日記サイトを見ていて、テストの迷回答やらふいに向けられる鋭く哲学的な質問についてのコメントに笑わされながらも、一方で純粋な子供らしい感性に感動させられ、なにしろサイト全体に漂う子供達への静かで愛情に満ちた眼差しを感じて暖かい気持ちになった。

ただ哲学的な質問については、子供は子供なりにこういうふうに考えて質問してきたのかもしれない、というところに対する洞察をしないでただ嬉々として大人の視点から突っ込んでる様子はどうかと思ったりもしたが。
まぁ何気ない会話のたびにいちいち深く洞察するような性格だったらやっていけない仕事なんだろうな。
なんつっても1対40だし。うへー。


こういうのを見てると小学校の頃を思い出す。
どこかのブログで「小学生の頃に悪ぶって万引きしてたやつを見てバカだなと思ってたけど、そういうやつらは今になってみるとみんな成功してる」みたいなことを前に読んだんだけど、なんとなく私もそれはあるなと思っている。
それなりの成功を手に入れている人の小さい頃の話を聞いてみると、意外にワルなエピソードがいっぱい出てきたりすることって結構ある気がする。


本人同士で連絡を取ることはもうないけれど、親同士が遠縁の親戚なので(血は繋がってないけど)たまに近況を聞く機会のある同窓生がいる。
彼を思い出してみても確かにそうだ。
悪いことを隠れてやるのが得意で、異様に要領のいい子だった。
地元の名家の御曹司で、小6当時「俺が跡を継ぐのが当然」みたいなことを言っていたが、どうもそのまま順調に行ってるらしい。
そろそろ若社長ぐらいになってるのかもしれない。

あと、先生達からの評判はピカイチなんだけど、取り巻きを引き連れて陰でいじめをやってる女の子がいた。
この子のことを、なぜだか最近よく思い出す。

陰の部分を知る子からはものすごく嫌われていたけど、私はなんとなく距離を保ちつつも良好な関係を保っていたような気がする。
彼女と同じ英会話教室に通っていたってのもあるし、良くも悪くも私はいじめられるほど関心を持たれていなかったし、子分にできるほど御しやすい性格でもなかっただろうから(あまのじゃくだから)。

普段の彼女は、よく気が付く大人びた子だった。
いじめの実態を見たとき、他の子のように彼女を嫌いになることができなかった。
ひどいことやってるなぁと思ったし、嫌いになるのが普通の感覚だと思うんだが、なんというか、私の中で自然と彼女の二面性が許せてしまったのだ。
なんでかな、と考えると、やっぱり英会話教室で一緒に過ごした時間のことをい思い出す。

口コミで評判だった教室で、メンバーは若干の変動があったがだいたい3人から5人ぐらいをうろうろしていて、固定メンバーが私とその子ともう1人、やはり同じ小学校の同級生の3人だった。

本当に先生がよかったと思う。楽しかった。
今思うに先生は、英語に対する抵抗感や食わず嫌いをなくすことを最大の目的としていたんだろうと思う。
発音や文法、筆記体の体裁など細かいところまで結構みっちりと指導されたのだがそれで嫌になることは一度もなく、カードゲームやクイズなどで楽しんだ記憶ばかり出てくる。私の単語力はあのカードゲームに培われた部分が大きいと思う。(逆に言うとそこからあまり発展していない。)

帰り道には自転車で一緒にお菓子を買いに行ったり、ちょっと外れのおもちゃ屋まで寄り道したり、捨て猫にえさをやったりした。

その記憶の中の彼女がいじめの首謀者であったことは、今でも大したことではないように思う。
私にとっては表も裏もなく目の前にいる彼女が彼女その人でしかなかった。

彼女は6年生の2学期で、中学受験のために教室を辞めた。
もう一人の子も中学受験組だったのだが、私も3学期に入って引越しが決まってまもなく教室を辞めた。
それ以来連絡を取っていない。
年賀状ぐらい書いておけばよかったな、と今更ながら思う。


卒業文集にも英会話教室のことを書いた。
詰め込み教育の弊害により先生に褒められる文章を書くのが正解だと思っていた小学生当時の私は(言いがかり)、作文の時間はいつも先生の感性を基準にして先生を喜ばせることだけを狙った媚びた文章を書いており、当然褒められることなどなく納得のいかない思いをしていたわけなんだけど、この英会話教室についてはそういうことを気にせずに素直に書いたなぁと思う。
今読み返しても、当時と同じ気持ちでいろんなことを思い出す。



6年の3学期、中学受験組のクラスメイト10人ほどが学校にお菓子を持ってきて隠れて食べていたという事件があって、「金八に憧れて教師の道を志した」と素で言いそうな熱血教師だった担任はそりゃもう落ち込んだものだった。

ちなみに上記の御曹司といじめっ子並びにその取り巻きも10人のうちにいた。
つうか主犯格だったらしい。


暴力事件とかタバコとかじゃあるまいし、お菓子ぐらいで四の五の言うなよと当時思ったし今でも思っているが、そういう時代だったのか、うちの小学校が特殊だったのか、とにかく大問題になったらしい。どうでもいいと思っていたため実はよく知らない。

学級会の時間、受験を間近に控えながらどうしてそういう自己破壊的な行動に及ぶのかと、先生はその行為がいかに軽率なものであるかを涙を流しながら教え諭した。

流石に当事者達は(基本的に皆いい子なので)素直に「反省した」というコメントを発表し、それらのコメントは事件発覚時からの成り行きとともに先生の手によって編纂されて学級だより特集号みたいなのに載せられた。

中学受験ってのはやっぱり皆が経験するものではないし、プレッシャーとかストレスとか友達と競争しなきゃいけないという葛藤とかいろいろあって彼らも捌け口がほしかったんだろうと思う。多分。
例の女の子が同じ中学を受けるライバルの子を急に仲間はずれにしただのされただの、そういった噂話が急に増えた時期でもあったような記憶がある。
何が本当なのか、今となってはわからない。

先生って仕事は本当に大変だなぁと本当に思う。
私なら、あんなふうに涙を流してまで彼らのささやかな反抗を嘆き、諫めることなどできない。
中学受験を目前に控えてるんだからバカなことをするな、と言うことはできる。
受験に不利益になり得る行為であるとは思う。

じゃ子供が「ほんとは受験なんかどうでもいい」って言い出したら?
なんて言う?
親と話し合ってみることを勧める。自分も相談に乗る。
本当に受験したくないのか?意地を張ってるだけ?
受験するのは誰の意思?
自分の意思?親の意思?
自ずとそういう問題にぶつかる。
どう答えを出す?

でも大人にそうやって気持ちをぶつける子供はまだかわいげがあるかも。
一緒に考えることで、親や先生も成長できるだろうし。
何も言わないでその思いを抱え込んでしまった場合がこれはもうまずい。
でも思春期の入り口って急にものの感じ方が変わって何かと戸惑いがちな時期だし、自分の気持ちを上手に表せなくなる子も結構いると思うんだよな。

難しすぎるよ12歳。



彼女達も、今はそれなりに成功してるんだろうか。
してるんだろうな。知らんけど。


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