日記...マママ

 

 

説教好きの上から見たがり - 2002年10月17日(木)


そりゃ私のことじゃないか!
と、CMを見ながら一人赤面しておりました。

CMでは二人は仲直りするけど(長いバージョンではちゃんと仲直りしてる)、私はあそこまで決定的に両者の関係を浮き彫りにしてしまった後で仲直りできる自信はない。あいまいなまま、距離も縮まらないままきっと付き合っていくんだろう。

自分の価値観を相手にやたらと押し付けたがる人に限って、実際たいした価値観を持ってないことが多い。

「たいした価値観を持ってない」って私が評価してしまうのもまた一方的なことなんだろうけど。自分の人生が上手く行かない理由を周囲に転嫁しようとしているように見えることが多い。

でも、広い意味での責任転嫁は誰でも無意識のうちにやっていることなんだ、と何かの本で読んだことがある。それは防衛機制の一種で、世の中の因果関係をすべて正確に捉えて自分の責任をありのままに感じつづけることは、精神的にものすごい負担になることなんだそうだ。だから過度のストレスを防ぐために、誰しも無意識に何かに責任転嫁をしながら社会に適応して生活しているのだとか。

そうなのかもしれない。「責任」は、本人が何をどこまで背負い込もうとするかによって大きく変わる。私が「自分の責任だ」と思っていることが、他の人にとっては自分以外の何かに責任があることかもしれない。逆もまたしかり。

だから、自分は自分の果たすべき責任を十分に果たしてる、なんて決して言えないと思う。きっと自分を守るために、気づかない所で何かに責任を転嫁しているのだ。

周囲が「この人のとれる責任はここまで」って規定するのも(もちろん半ば無意識な話)、本人が何をどこまで背負い込もうとしているんのか・背負い込めるか・背負い込むべきか、によって、他の外的な条件が同じでも一人一人変わってくる。
何かトラブルが起こったとして、誰の責任なのかというのも、必ずしも公平な結論が下るとは限らず、その場の雰囲気やキーマンによって半ば主観的に決められてしまうことがままある。


そして、ここからは私の主観だが、その「責任」を過度にたくさん抱え込む人は思い上がりの強い人・あるいは世間を余りにも知らない人なのではないだろうか。

誤解してほしくないのだが、責任感が過度に強い人を非難しているわけではない。
責任感が強くて真面目な人は抑うつ状態に陥りやすいという話をよく聞くし、学問的にもそれは立証されているらしい。
そういう人が、どうすれば抑うつ状態に陥らず平穏な生活を送れるのかを自分なりに考えてみたいのだ。
なぜなら、自分自身にそういう性質があるからね。


責任感が強すぎてたくさんのことを抱え込みすぎるということは、逆に言えば自分が果たさなければいけない役割がものすごくたくさんあって、それは自分にしかできないことだという気持ちが強すぎるということだ。

実際、必ずしもそうではないだろう。

自分にできなければ誰か他の人がやる。自分にしかできないことというのは、実は世の中にはほとんどない。自分以外にもそれをこなせる人はたくさんいる。何も一人ですべてをやり遂げることなど誰も期待しない。また、期待してはいけないことだ。

自分にできることとできないことを区別して、できないことは無理して背負い込まずにできないと言えることが、本当の「責任」なのではないか。

もともとの趣旨から全然違う話題になった。
まーいいや。



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