数日前、ラジオを聴いていて、
「のあのわ」のボーカル・YUKKOさんが、いろいろ語っていた。 その中で、恋愛について・・・
私の理想の恋愛のひとつは、菅野美穂さんが出てた「Dolls」の退廃的な・・・ふたりがいれば、あとはどうでもいいみたいな、そんな恋愛もいつかしてみたい、そんな人と出会いたい
そんなことを語っていた。
退廃的な恋。
きっと、そんな恋にあこがれる、
いや、こころのどこかでそんな恋愛を求めることってあるような気がします。芸術的というか、文学的というか。世の中すべてを敵に回しても、2人の恋は不変であるということかなって。
人を愛するって、ある意味「覚悟」でもあると想います。
なにかを犠牲にしても、その人を慈しみ、その人だけを愛する。
感性に触れるもの、美しいもの、言葉にできないもの
そうしたものって、ときとしてこころ奪われて、周りが見えなくなるものでもあるかもしれません。
退廃的な恋となっても、おそらく、それはそれで、美しい恋愛であって、幸せなことでもある気がします。もちろん、それが失われたときの喪失感は、とても深いものではありますが。
そのときの言葉のひとつひとつ、そのときの表情や瞳、肌のぬくもりって、一生忘れることはできないでしょうから。
退廃的な恋愛は、複雑な関係性も伴うわけで。でも、人生のドラマのある時期の物語として、それを「それもいい思い出だったな」って、後に変換できればいいわけですものね。もちろん、つらい結末だってありえるでしょうけれど。(退廃的な恋といわれたら、どうしても、すぐ太宰治あたりを連想してしまいますが)
2人だけの純粋な世界を共有できる時間って、貴重ですから。 想いの深さが、ずっとずっと続くって、並大抵のことではありませんし。
人それぞれに、恋愛のカタチってある。
だから、退廃的な恋がすべていいというわけではないし 行き着くところは、シンプルで、おだやかであり、みんなから祝福される、そんな恋愛が、理想となるとおもいますけれどね。
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