ある友人は、かつて おれは「来るもの拒まず、去るもの追わず」だよ
といっていたのが、ずっと僕は印象に残っていて。
あれから月日が経って、社会人という立場になった上で、 最近、その話をしたら
「来るものも拒むことだってある、去る者は追わず」だな。
人間関係は、確かに理想論で言えば 「来るもの拒まず、去る者追わず」 なんだと、思います。これがベースにあってこと、人間関係は築けるかも
僕もね、ある時期は、「来るもの拒む、去る者追う」だったこともあったし、逆に「来るもの拒まず、去る者追わず」だったこともある。
でも、どちらも、しんどい。 来るものを拒んでいたら、ひとりぼっちになって、孤独になって、ますます考え方が意固地になる。人間関係がうまく築けなくなってしまうことで、精神的にバテバテになる。
だからこそ、少ない理解者には、想いが強くなってしまう。これも、良くないこと。
逆だったときも 来るもの拒まなかったら、本当に疲れてしまった。みんなとの出逢い、付き合いを大切にして、いろんな自分が存在するようになって。去るものを追わないことで、大切な人がするりと手の中から逃げてしまったり。
やっぱりね、人と人は付かず離れずがいいとも想うし、どこかで人を見て、この人はここまで受け入れられるとか、ここまででいっぱいいっぱいだと想うとか。ここちよい距離感を、それぞれ見つけられるようになることが、大切だったりする。
それは、たとえば恋人だとしても言えることで。 相手が求めていることを、しっかり理解して、近づかないといけないときは、すぐそばにいて、こころも身体も結び付けられるように。逆に相手、いや、お互いの負担にならないくらいの距離感も、うまく取れるようにならないといけない。
でもね、その距離感って、本当に難しい。
相手がどういう距離感で、自分を見ているのかというのがわからないから。
たとえば、僕は手紙や葉書をよく人に贈ったり、プレゼントにカードを添えたりすることが多い。手紙をやり取りできる仲間は、距離が近い仲間って気がする。
電話だって、たまに突然かかってくるけれど「しょうがないなぁ」って電話で長電話したり、すぐあうことになったり。
あまり考えたり、気を遣わなくても、 そばにいて、ここちよい時間を共有できる 価値観や考えが、なにかでピッタリ逢うここちよさがあったり。
そういう人、必ずいるはずだし なかなかいるものではないし。
来るものは無理のない程度で拒まないほうがいい。 去る者は、追わないほうがいいような気がしてしまう。
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