雨の1日。みなさん、いかがお過ごしでしたか? 私は、仕事帰り、都心へ向っていた。知り合いと逢う為なのですが、雨の日の街角を歩くと、どうしてもいつもと目線が違う。水溜まりに映る、もうひとつの世界、もうひとつのネオンの光が気になったり、ぜひビルの上から、傘の花を見てみたいとか。雨の日がすきなんですね。
最近、ちょっぴり想ったこと。
人間関係で、きっと大切なのでは?と想うのは
「タイミング」「距離感」「去り際」
そんな気がするんです。
タイミング・・・自分から一歩、前で出てみる勇気も大切ですし、人を想う気持ちが強く、どれだけ想えるか。ただ、それを踏まえたうえで、きっとタイミングってあると想う。出会いのタイミング。誰しも与えられるタイミングを逃さないこと、いまその時だということを感じ取り、信じれること。
距離感・・・それぞれに、それぞれの距離感ってあるはずです。人間関係がうまく行かないのは、その距離感を誤っているから。近づきすぎて、相手が拒否反応を示したら、引いてみる。逆に遠すぎて、なかなか親しくなれない感じならば、近づいてみる。
ほんと、距離は人それぞれだもの。人をしっかり捉えて、自分なりの適度な距離を持てるかが、大きいのでは?
去り際・・・たとえば、それじゃまたね!と、お互いお別れするとするでしょ?そのとき、別れた後、その人は、振り返ってくれるか。そのままスタスタ帰ってしまうか。そこかちょっぴり気になる。
たとえば、何らかの理由で関係が絶たれるとして、その去り際、まず相手のことを想ってあげられるか。あとで後悔しない去り際ってあると想うんです。去り際ひとつで、いままでの長い時間積み上げてきたもののすべてが決まってしまうような気がして。逆にいえば、どんなに時間かけて築いた関係や時間、想い出も、去り際で遺恨を残したりしてしまうと、すべてが台無しになってしまう。
去り際の言葉って、大きいと想うんです。 次に繋がるか、過去をよりよいものとして締めくくることができるか。
ちょっとだけ話は変わるけれど
わたし、人と逢ったりするときに、こころでは「これで最後になるかもしれない」という想いだけは持ち続けている。不安感というのよりも、これから先のことってわからないから。そのときそのとき、後悔しないように、いつも「最後になるかもしれないのだから」くらいの気持ちで、きちんとその時その時で、対峙したいって想うんです。その積み重ねで、ずっと続く関係になればいいし、残念ながら、疎遠になってしまっても、後悔はないですし。だから、ことさら別れ際って大切に想う。言葉のひとつひとつ、そして手紙やメール、写真というものを送ったり残したりするのも、そこに通じるのだろう。
ただ、そういったことを、人に言うと、すごく否定的されることもある。きっとネガティブな意味に捉えてしまうのでしょう。
僕は、そうした人の意見も意見だけれど、それをネガティブな意味にしか捉えられないのって、そこもどうなのだろう?と疑問を持ってしまうんですよね。そういう人は、あまり人に固執しないというか、イエス・ノーがはっきりしすぎることって、あまりに味気ない気がして。
きょうもありがとうございました。 あしたも、よき1日になりますように。
おやすみなさい
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