こころが「楽しい」を忘れていませんか?/やさしい地元散歩
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最近ね、仕事とか、身近にやらなくちゃならないこととかわんさかあって、 どうも、日常的に、自分が「好き」と思えることを、していないって部分が多々あって。
ほら、この日記にしても、写真を載せてる日記が少なめでしょ? 写真を、また「楽しく」撮りたいなって、思えるようになって。 いつも、「記録的」な写真だけしか撮っていないから。
記録的じゃない写真・・・
花、空、部屋の片隅、会社付近の街のスナップ、 スイーツ、美しい夜景、ポートレート、雑貨、光と影、 ラテアート、色が鮮やかな光景、しゃぼん玉
そして・・・セルフポートレート。
こころが詰め込みすぎなときは、 「カメラ日和」のようなカメラ雑誌をパラパラめくって、そのやさしい写真を撮るというこころを忘れてないか、確認するようにしている。
写真って、その時その時の、撮る人の内面の状況が、色濃く作品として写しだされる、すごい道具だと想います。余裕のないときの写真は、やっぱり余裕のない写真になっているもの。
それといっしょで、 最近、音楽を聴いていないな・・・って。 大好きなアーティストのニューアルバムが出てるのに、いまだ聞けてないことに気がつく。ゆっくり部屋のオーディオで、音楽を聴いてない。聴くのは車の中くらい。
新しいカフェとか、雑貨店とか、イベントとかとか そういうの、タウン情報誌などで、チェックして、資料を集めて、出かけるってことも、最近久しくなかったなぁ。と想い、タウン情報誌を買ってみると、まぁ、こんなにいろんなカフェが出来てるんだとか、このカフェがこう変わったのだとか、あぁ、こういうイベントしてたんだぁとか、つくづく想わされるものです。
何もかもわすれて、「楽しい」と思えることを、忘れているのはよくない。
最近の、この日記の文体にも、いまの自分の状態が、顕著に現れるだろうと想います。僕が日常、人と接していて、会話していても、相手はなにか感じ取るだろうと想うんです。
人間、「遊び」の部分を持っておかないと、ギスギスキシんでしまいます。 「潤滑油」を差してあげないと、歯車もスムーズに回らない。
もうちょっと、こころから笑ったり、夢中になったり、感性趣くまま、行動してみたりしなくちゃいかんな・・・なんて反省しています。(まぁ、夏の暑さで、気力が失われてたのもあるんだけれどね。秋になったら、夏の何倍も行動的になるんですが)
なにより「人は人を癒す」と想うので、 気心しれてる、たくさんの友達と、また逢ったりできることは、 これから楽しみにしていきたい。
きょうは、土曜日ということで、めずらしく土曜らしく仕事も早めに終えて、夕暮れ時、地元を散策してみた。閉館前の図書館で、本を3冊ほど借りて(もう閉まる寸前までいました。20分程度じゃ、すべての書棚をチェックできない)とりあえず、いつもよむ雑誌のバックナンバーと小説と、写真の本をゲット。
九十九橋からの瀬野川の夕景は、好きな景色の一つ。 いつも見慣れすぎて、気にもとめない瀬野川を、すごく意識する瞬間。

地元のスーパー(サティ)で、おなじみのソフトクリームをいただいた。 この大きさで105円。もう、小学生のころから、同じおじさんが、クレープを焼いたりしている。変わらない味。夏は、ふとここの「ミックス」ソフトクリームが食べたくなってしまうんです。ごちそうさま
今週も、みなさんおつかれさまでした いい週末を過ごしてくださいね。 あしたも、よい1日になりますように・・・ きょうも、ありがとうございました。
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