恋の相談を受けることがたまにある。 僕は、うんうんって、静かに聴いてあげることしかできませんし、実際それで、少しでも気持ちが楽になってくれればいいなって思います。
どんな世界でも、ルールというものは存在する。もちろん恋でも。 でも、恋の世界にはまってしまっている人に、このルールはあってないようなものになる。だれかが「不倫は文化」なって言ってたけれど、恋のパワーによって、どこか力ずくでも正当化されてしまう、ある意味、人間特有のあいまいさによって生み出される恋は、あいまいな定義であってもおかしくない。裏切ったり心変わりしたりしても、それを正当化する人だっている。
人それぞれ、性格も価値観も全く違う。 だから、恋の定義も本当に幅広く、まったく違うものです。 この2人には、許されることだとしても、違う2人には、あてはまらない。 この2人にとっては当たり前のようなことでも、違う2人にとっては、常識とはかけ離れているとか。
でも、それぞれには、曲げることの無い「恋」の定義があると思います。 こういう人が好きだとか、こういうところは、許せないとか。
とにかく、恋にはまって、溺れてしまう人、恋をしてどんどん自らを成長させてプラスにもっていってる人もいる。
ひとつ思ったのは、
自分をきちんとさらけだして、正面からきちんとお互いが向き合っているか?が、恋を大きく左右するのでは?と思います。
相手に好かれようとして無理するのもあるけれど、いずれは自分をすべてさらけ出して、伝えていかないと、のちのちしんどくなるわけで。
相手のことを思いすぎたり、相手を理解しようとすることだけでもいけなくて。お互いが、しっかり向き合って、いまこのときを共有しながら、語り合えないといけないのかもしれない。逃げていたらだめになっちゃうような気がします。
しっかり向き合って、いまその想いを語り合ったり、将来について想いを馳せることができるかって、大切だとおもいます。
たとえ、残念な別れに至ったとしても、向き合って出た結論ならば、後尾をいくこともないかもしれない・・・
と、いうことで、相手ときちんと向き合ったほうがいいんじゃない?とはよく言うこと。それと、いろんな人と付き合ってみないと、頭でっかちの融通利かない恋しかできなくなるよ・・・とも、よく言うかな?もちろん、一途な純愛に越したことはない。本当に好きで好きで。すなおな自分の気持ちをすべて傾ける恋ができることは、しあわせなことだと思う。
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