私という、ひとりの人間を、しっかりわかってもらうのは、ある程度の時間が必要なのだと想います。
不器用な人なので、短い時間だけで、自分はこういう人間ですということ、うまく伝えられない部分が大きくて。こうして文筆により、的確に深く、自分について、そして想い、考え方を記することが、一番の自分のありのままを表現し、伝えることが出来ているのですが。
日々の暮らしの中で、いろんな人間関係があって、でも、大切なのは、私そのもの。文筆とかは関係なく、会話やしぐさで、一発勝負で向き合う。
そうして、人と対峙する。 でも、わかってもらおうとか、いろんなことを話したいとか、伝えたいとか、頑張れば頑張るほど、空回りしたり、間違った自分が伝わることもあって、本当に、そのバランスって難しいのです。
普段、対峙する人のお話をしっかり聴く、そんな聞き手になることが多いせいもあって、自分のことを話すことより、まず相手のことを知りたい、相手の話をたくさん引き出したいと、もう条件反射的にそういう姿勢になってしまう。
でも、逆に、僕がどんな人間で、どんな人で、たくさんお話を聞きたいと想う人がいることもあるので、そのとき、思う存分、たくさんおしゃべりすることも大切なのかもしれません。ただ、それがどのとき、どのタイミング?っていうのが、計れないところはあるのだけれど。
会話にしても、人と対峙するにしても、 やはり50/50に近いのが理想で。お互いがお互いのペースを想い計って、言葉やこころや、想いを、しっかりキャッチボールできることが大切。そうして、こころがしっかり通っていければ、その時間は、しなやかで意味のある時間になっていくし、相手をきちんと理解する、言葉は悪いけれど、相手を見抜くことになるんだろうし。
もっと知りたいとか、もっと近づきたいとか そう思えたとき、自分もきちんと伝えて、相手ももっと知ろうと想う気持ちが大切になります。 でも、それには、時間って、たくさんいるし、なかなか足りないものです
最近ね、ふと自分の人に対しての接し方、向き合う姿勢というものを、いま一度考え直さないといけないなって想わされる出来事が多く。もっとも自分にとってスタンダードだと想っていたことが、間違っているのでは?って。
聞き役一辺倒というのもよくないんだろうな。 自分の素直な心の声をしっかり聴いて、そのときに、きちんと伝えないといけないんだろうな。 直感とか、タイミングを、もっと素直に受け入れたほうがいいんだろうな
こう、考え方が変わりつつあるのも いろんな人たちを見て、接していることで、 少しずつ、自分がいい方向に変わっていっているの、その形なのでしょうね。もちろん、悲しいことも、たくさんの失敗もあってのことだけれど。
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