人の評価というのは、案外当てにならないものです。 だから、それに惑わされすぎることなく、自分は自分らしく生きることはとても大切なこと。
見えないところで、努力しているとか、そのときはわからない愛情に、別れの後に思い知らされるとか、この人には、いつもと違う顔があったのだとか。
性急に、その人を判断してしまったり、一面だけ見て決め付けたり、相手の言い分をまったく聞かず判断したり、怒ったりすると、結局のところ、そんな決め付けをしてしまった人が、損をすることも多々ある。けっきょく、そういう態度・姿勢は、自分に返ってくる。
そこがわからない人がいたりします。 裏切られたり、しんどい思いをしたにもかかわらず、自らが、人を、性急に判断したり、ひとつのことだけでだめだと判断したり。相手の見えないところを見ようとしなかったり。自分がだめだとおもえば、人が傷つけようが、相手の大きな想いとか無視しようが・・・そういうことを、どうでもいいやと割り切ってしまう。裏を返せば、自分を守りたいというか。傷つきたくないというか。人を理解しようとすることがめんどくさくなるというか。
でも、逃げていたら、逃げた分だけ自分にいつか返って来る。 かけがえのない存在を、いずれその人は自ら逃してしまう。 必ず、いつかなにかの形で、しっぺ返しがやってくる。 なんだかもったいないなって想うのです。
人は、あいまいな生き物。 結局のところ、自分の判断も、人からの評価も、あてにはならない。こころは一夜にして変わってしまう。 だから、人を傷つけたり、裏切ったり、悲しみや憎しみを生んだりするわけだし。もっとも大切なのは、どこで許し、こころの傷を癒し、忘れること。そこだけ。
ただ、人の何気ないひと言が、一生の心の傷になり、トラウマになることもありうることも事実。絶対と誓ったことを、簡単に翻してしまう、その人にとっては、何気ない言葉でも、刃のように人を傷つける・・・その人にとっては、一生消えることないこころの傷になるし、人間不信になってしまったり、人生を大きく変えることもあるわけだし。
人を許し、忘れること。あきらめること。 なかなか難しいことなんです。言葉でいうのは簡単だけれど。
そういった、人の「弱さ」「複雑さ」が、わかるかわからないか。相手の気持ちをイメージできるかできないか。 あまりに、わからない人が多いのですよね・・・
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