ことしの最初、いろいろな出来事があって、 人から言われた言葉から勘案して、
私は人間として「欠落」している部分がある
ってことを思い知らされた。
言われて、わかったことがたくさんあった。
人を愛する資格って、ないってことなんだなぁって
僕は、どんなときでも懸命だし、相手のことを思って、一番いい形は何なのかってすごくすごく考える。言葉にうまくできないところはあるけれど、最終的に後から「これが正しかった」って思えるようにと思っていた。無論、すごく我慢したり、自分を抑えたりして、それを口に出すこともまったくなかった。でも、人は違うから。なぜ、逆にそこまでいわれなくちゃいけないの?って思ったりもした。
たったひと言で、「これはダメだと」ガラッと気持ちが変わったり ひとつの面だけみて、理解できないってあきらめたり。 そういうあいまいさが人間なんでしょうね。 それをまったく否定はしないけれど、 でも、それならば、 結婚したりいっしょに生きていくことをすることに対して、 本当に冷めてしまうのです。完全に無理です。 どんな言葉も信じられなくなる
すべてが、無意味だったっていうことを知ったとき 僕にはこれ以上無いな。 もう、人を愛したり、ひいては結婚とか、無理なのだろうかなってことが 露呈したんですね。 人の言葉が正しいとするならば、そういうことになるのは必然で。
ことし、そこがはっきりしたら、なせだかすごく自分がラクになったというか、軽くなったというか。あきらめがついたような気がします。少なくとも、自分ができることをやって、結果、まったく無意味だったこと。でも、これが精一杯だしね(笑)ことしの初旬、そういう結論に導かれたこと、結果的によかったのかもしれない。そういう意味では導いていただいたこと、本当に感謝しないと!!本当の自分っていうのは、この程度の人間なんだってこと、客観的に知ることできたから。
人と人って本当に難しい 言葉のひとつひとつは、本当に重いよね
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