僕は、自分の中には、孤独感が強く、さみしがりやというのだろうか、友人はできるだけいてほしいし、いい友人はたくさんいた方がいいと思っている。それは、孤独感の怖さがあるから。本当に、孤独が怖い。
だからといって、やみくもにというのではなく、常にアンテナを張巡らして、相手を見るようにしている。
だから、初対面の人でも、できるだけ聞き手になって、相手を知ろうとするようになる。でも、言葉をたくさん交わすから、すぐフレンドリーという印象を受けるかもしれないけれど、自分の中では、少しずつ、慎重に相手に近づいていると思うのです。
人は、ひとりでは生きていけない 人の間にいるから、人間なのであって。たとえ、離れていても、なかなか通じ合えなくても、静かに見守ったり、影ながら応援していたり。そういう関係って、大切にしたい気持ちが強いのです。
いつも、密着していっしょにいる・・・というのが、いい人間関係ではなくて。無論、結婚したりとか、恋愛するとなると、そういうのもあっていかもしれないけれど。それでも、ヤマアラシジレンマという関係がベターな気がします。
人によって、近づける距離、適度な間隔って、まちまち。それを推し量り、接していくことって、案外難しいけれど、逆に言えば、それは人との出会いや関わりのおもしろさでもある。どうすれば、相手を振り向かせることができるだろうか?という駆け引き的な感情は、まさにそれで。ずっとずっと、そばにいてくれる関係でいられるだろうかという永続的な関係は、必ずなくてはならないだろうし。
いま一度、僕は、自分を思ってくれている人たちのことを、思い直して。いま、本当にこころに余裕がなくて、自分のことばかりになってしまっているけれど、そうした人たちを、大切に思うこと。原点にもどって。再会したり、話したり。
そうしないと、人は離れていくし、それはさみしいじゃない?なにも伝えないで、そうなると、もっとさみしい。
もっと、時間を共有したい。いろんな話をして、いろんなことを共感したい。いろんなことを、人から吸収したいし。泣いたり、笑ったりできたらって。
大切に思える人を、当たり前のように大切に・・・
きょうも1日おつかれさまでした。
午後まで仕事があったので、ぱっぱと残った処理を片付けました。 その後、所用で宇品へ行ったのです。写真のように、いつのまにか「ニトリ」の建物が出来ていた。コーナンのすぐ傍なので、ますますこの付近は、お買い物エリアとして充実しそうですよね。僕も、ここがオープンする9月には、本格的に「ニトラー」となるかもしれないね。
広島駅前で、バスを待っている間、とにかく照り返しが強い。目が痛くなるくらい。さすがに、この噴水でのんびりする人はいない。こう暑いとね
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