人のことを想うことが、結果的に想われるのだろうか?
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毎日、ふとしたきっかけで、自分の存在ってなんだろう?って想うときがあります。たとえば、仕事で、自分のやってたことを否定されたとき。親しい人と別れたとき、周りの人がしんどかったり、困っているのに、なにも手助けできなかったとき。
自分は、たくさんの人々の中では、ほんとちっぽけな存在で、なにを与えられているのか、なにが出来ているのか?、正直なところ、なにもできていなかったのではないかな?と。
どんなに時間を重ねても、気持ちを重ねても、結果がすべてと言い切ってしまえば、私の存在は結局のところ、人に何ら影響を及ぼしていないと想うし。
そんな力不足な私でも、自分のできること、真摯な気持ちで、向き合っていこうと想って、1日1日生きているんです。でも、人はそんなこと汲み取ってくれるはずもなく。
そのギャップは、日々こころに抱えているものの一つになっているんですね。
決して、人に依存する生き方はしたくない だからって、逆に人に頼ってほしい部分もあるけれど、本当の意味での健やかな人との関係って、いろんな失敗を繰り返した上で、学んでいくような気がします。それできちんと学習できる人ならばいいのですが
人がどう想っていて、なにを求めているか、想像力を働かせることって、重要で。想像力が、相手が本当に想っていることと重なるように・・・そればかりは、経験と、自身の人間性でしか計れない。
あまり考えすぎて、人に入り込むことよりも、静かに見守って挙げられること。たくさんの言葉を重ねることよりも、ひと言、生きた言葉を伝えてあげるだけでいい。
まずは、自分を確立して上で、余裕を持って、人と接していきたいものです。人のことをあれこれ考えすぎる、人のことを心配しすぎる=自分に余裕がなく、自分が打たれ弱いからこそ、人に転嫁していく。そんな気がするのです。人のためといいつつ、結果的に人にかまってほしいとか・・・そんな感じで依存している。
ならば、最初から、弱い自分をさらけ出して、すっきりさせたほうが、潔い気もするけれどね
回りくどくするよりも、自分はこうなんだと、ありのままで。 そのほうが楽だし、人から見ても、そのほうがわかりやすく潔い気がします
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