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2007年10月25日(木)
「愛すること」と「孤独」の意味

どんなに、愛していても、好きであっても、離れていく人の心は、どんなにこころから尽くしても、留めることは出来ません。別れは、突然やってくるものです。そして、自分のふがいなさ、後悔が残る

そこで、落ち込んだり、相手に対して断ち切れなかったり。
しかし、僕は、ここでどう、あきらめるか、どう考えるかで、その2人で過ごした時間や思い出が大きく変わってしまうと思うのです。

もし、相手も、自分に対して、懸命に好きでいてくれてた。

その事実があるとして、
その恋の終わりの際に、痛々しい言葉を投げてしまうのは、相手をすべて否定してしまうことにつながってしまいがちです。

この人と付き合ったから、いろんなことを学んだし、思い出もできた。
寂しいときそばにいてくれた、キスをし、抱きしめあった肌のぬくもり、言葉のぬくもり感じることができた
人生の中のある期間を、あなたと生きること・共有することができたと。ただ、できるならば、一生あなたと生きることができたら。


別れとは、そういうものです。
いとおしい気持ちも、深い愛も、別れを経験するとそれらは、自分のこころに傷としてのこる。痛さを癒すには時間が必要になる。ある意味残酷ではある。正直、私は人一倍、その別れという儀式に精神的に弱い。いままでの、ここで語れないような経験で痛切に知ったから。

傷つきたくないから、恋愛に深く入り込めない
誰よりも、弱いということになるのかもしれません。
人のこころも、愛情も、「不変」ではないという前提が、僕にはあるからかもしれない

確かに、僕に対して深く好きになってくれる気持ちはうれしい
そこに甘えたいと思ったりもする。

自分は、相手に対して、どう相手にとっていい時間を作れるか。たくさんお話を聞けるか、悩んでいるときならば、静かにそばにいて、うんうん。と胸のうちを聞いて受け止められるか。喜びを同じように共有できるか。抱きしめてほしいときに抱きしめて上げられるか・・・

それだけです。
多分、自分の胸のうちや本音の部分をぶつけ合い、こころが通う、通じ合う付き合いをした記憶がない。こころ揺さぶるような、密な言葉のやりとり、ひと言ひと言に精神を集中し、お互いが相手のこころに入っていく。相手の言葉の裏にあるもの、こころの裏に潜んでいるものを、なんとか探ろうとする。引き出そうとする。そして、ともに泣いたり、こころ震えたり・・・そんなやりとりを、もうとうぶんした記憶がない。


相手は、私を必要としなくなったら、そのまま消えていく
でも、それを僕は否定しない。それはそれで・・・自分の力不足だったということだろうし。

ただ、自分の根底には、踏み込めないラインを越えることが、いつか出来たら・・・できる人がそばにいたらと思う


愛に溺れ、落ちていくのも良くありません
終わった恋にしがみついても、なにも成長はありません

僕は、静かに生きていきたい
静かに人を愛して、
ずっとずっと、自分は良くも悪くも変わらず。
以前、「慈愛」について書いたけれど
その「慈愛」に近づけたら

だけれど、人の変わるこころは、
どうにもならないことだけは、しっかり胸に刻んで。

人は、私の前を、通り過ぎていく
時間の流れとともに



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
ホームページ⇒http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/

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