なにか人に伝えるとき、言葉は単純で短いほうがいい。 なるべく無駄な言葉をそぎ落として、自分の素直な想いを凝縮した、そんなひと言が、どんな言葉よりも強い力を持ち、相手のこころに響くことが多い
よくね、伝えようとしているのに、なんだか難しいことを長々と話したり、 懸命すぎて、先走ってしまったり、堅苦しくなったり。対象相手より飛躍してしまうことって、あるかもしれません。
会社でプレゼンテーションをするとしてね、なにかを相手に伝えるのに、回りくどく、小難しいことを続けていても、効率がわるい。熱がこもりすぎて、独壇場になってしまったり。セールスポイントをあれこれ積み込みすぎたり。要は、なにを伝えたいのか。その1点に絞って、最後に決めの一言をしっかり持っておく。その他の言葉は、なるべくそぎ落としていく・・・
広告のキャッチコピーってのもそうでしょ? どれだけ短く、目を引く、心に残るかが勝負。広告を目にする時間なんてほんの一瞬だもの。だからこそ、そのひと言から広がるドラマやコンセプトが広がるものが、成功したコピーとなるわけですしね
そこで、ちょっと視点を変えてみましょう
「好き」 その2文字だけで、なによりシンプルかつ強くこころに響く言葉ですよね。だいたいで、ハッピーになれることば。
結局、その2文字でいいんです。 その2文字が、これからの時間を変えて、人生を変えてしまうことだってあるのだから。ほかになにもいらない。すごい言葉です。僕は、人生で「好き」がどれだけいえるか?が、幸せのひとつの目安にもなりうるのでは?って思ったりする。(「好き」でなく、「愛してる」でも当てはまるかな)
でも、最近、僕も20代後半になってからか、「好き」っていう単純な言葉を聴くことがめっきり少なくなった。きっとみんながそうだと想います。
ほら、恋にはじまりを考えてみて 「好き」 からはじまると、なんだかピュアな初々しい感じするでしょ でも、実際は、 「付き合ってください」 って言葉からはじまるほうが多いのでは?ってね。
「好き」=高校生のような恋。 「付き合ってください」=結婚を前提に・・・ のような感じかな。
ちなみに、僕はいままで、自分の方から先に「好き」ような言葉を言った経験はほとんどないような気がする。言われる方が圧倒的に多かったかな。だからといって、それが、結果的にいい恋愛をしたか、恋に発展したか・・・っていうのは一概に当てはまらないわけで。(追う恋か、追われる恋、どちらが幸せかってことに結びつくかもしれないが。いえるのは、追われる恋より追う恋のほうが、きっと恋愛しているという実感は得られる気がするし、その情熱ってすごいわけですけどね。)ただ、自分の方から「好き」って言うのはかなり勇気がいるのだけは事実だった気がする。かなり告白は苦手なんです。だから、片思いのままであったり・・・そこで、考え方を変えて、要は、「好き」と言われるような魅力的な人物にならなくちゃって、けっこう昔から思ってましたねー。いま結果的にそれって、よかったのだろうか?とも思うが
話を元に戻しましょう。
なにかを人に伝えたい。そこには、こころにある強い思いを、じっかり言葉にして、伝えなくちゃいけない。その言葉が、ずっとずっとこころの支えになったり、なにかが大きく変わったりすることがあるんだから。あなどれません。無論、言葉だけじゃない要素だって、大きいけれどね。
シンプルイズベストに近いものが、人にひしと伝える言葉って言えるように思うんです。僕は、人によってはおとなしいひとに思われるかもしれないけど、考えて真摯な「生きた」言葉を伝えようって、無意識に思ってるのかもしれない。そうやって、誰かに愛されたいし、愛したいし。
もうひとつ・・ なんともない会話、愚痴や弱音・・・そういうのを思い切りずっと話したりできる関係は、素敵な関係でもあるんですよね。なーんでも話せるのも大切だよ。うん。
自分は、人生という映画のアクターだとして どんなせりふを人の心に残せるか?っていう視点で、僕もちょっぴり考えたりするんです。そのせりふによって、人生の筋書きが大きく変わっていく。自分も、誰かも。その各々の物語がどう展開して、どう広がっていくか・・・
つらい時間も、悲しい時間も、寂しい時間も、せつない時間も、
やがて・・・「やさしい時間」へと変わっていく。
きっと、そのときそのとき、誰かに与えられた言葉は
人と人とを結ぶ力、何かを変える力を持っていると思うよ。
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