私は、みんなが思うほど、強い人間でもなければ、いい人でもなく、どちらかといえば、人間不信であり、恋愛や人との付き合いに、どこか「限界点」を敷いてしまっているところもある。ま、それで、過剰に人に期待しない代わりに、自分も、ここからは、人の中に立ち入ってはいけないというブレーキが働くのでもある
そういう自分を、いままでの経験や辛かったことで、よーく思い知らされたから、自分の中で、わりと人格を分けている部分が大きいのもまた事実。
恋愛にしても、かっこ悪い恋をしていたり、しんどい苦しい思いもしたり
それがすべて糧になる!って、言い切りはしないけれど、そうした辛いしんどい経験や時間で、いまの自分をよくも悪くも築き上げたことだけは事実だもの。
仲間や恋人を、楽しませたり、元気付けたり、頼られたりする人もいるし、逆に、それが不得意だったり、目立たない人だっている。僕はどちらも必ずしもいいとも思わないし。
ただ、存在感を持ち得たいと思うのは、誰しもですよね。 存在感も、いろいろ。私はそんな存在感はないですが、自分の中にブレないものは持っている。誰と接していても曲げることのないこと。時に、人と衝突することもあるけれど。
それを持っているのが、存在感にもいくつかつながるのかもしれない。
「目だって何かすることよりも、結果的に、何かをしたことになった」
「いつも、ふっと、「いてほしいなぁ」と思われる人でありたい」
そんな、ふんわりした、感じの存在でいたいものです。
最近は、人に自分のことを話すことはなくなった。 人に考えを押し付けたり、こうだああだと人を決め付けたりするのはよくないし。静かに聴いて、考えて、その中で、相手のことで、忘れてはいけないことは忘れず、忘れるべきことは翌日には忘れる(愚痴なんかそうだね)。そんな具合のスタンスでいようとは思っています。
あと、笑わせること。 ニコニコの笑顔ってうれしいもの。笑いはこころの潤滑油
それらは、逆に言えば、弱い自分の予防線の意味もあるのです。 あまり自分を見透かされたくないのでしょうねー。そして、相手にとって、プラスになる時間にしたいなと思うから。
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