わたしは、広島に強く執着しているわけではない。 高校卒業前後だろうか、わたしは、広島から本当に離れたくて。大都市に憧れが強かった。広島の都市のキャパシティがあまりに小さく感じていたのもあるし、家族からとにかく離れて、まったく最初からやり直したかった。それだけ、高校時代は、抑圧された日々を送っていたと思う。
なにかに矛先を向けて、自分を正当化させようとしていた。 とにかく、広島にいてはだめだと。
高校3年の夏休み、関西の大学や専門学校の見学に奔走した。 とくに、専門学校は、そのころ目指したかった放送関係の専門学校をあれこれ回わったし、大学も、自分の偏差値に似合う大学を回った。ただ、漠然と、この街に行きたいと。
このころは、郷土愛とか、家族愛なんてひとかけらもなかった気がする。
結局、いろいろな事情から、ずっと広島を離れることはできませんでした。ただ、この歳になって、広島という街を、やっと愛せてきたという実感があります。
街を愛せるかというのは、きっと、それだけ愛すべき人たちが、この街にたくさんいてくれるということとつながるのだとおもうのです。やはり、孤独に苦しむと、街にいい思い出はもてないとおもうし。
ここ10年余り。 広島のにぎやかさ、発展、東京ナイズのされ方は、めまぐるしかったりする。(高校のころ、東急ハンズやジュンク堂、ロフトへ行きたくて、わざわざ大阪まで行っていた。東京で、ファミマに行くのにどきどきしたものだが、いまは、ハンズもジュンクも、ロフトも、広島にある。ファミマも、サンクスも広島にある。J−WAVEだって広島で聴ける)
広島で不便を感じることも少なくなり、 広島の街のさまざまなことに興味を抱き、発見することが絶えない
広島の都市の規模、のんびりさ、気候・・・ それぞれ、自分にやはり一番あっているのかな?と思えるようになったことは、歳を重ねて、人間丸くなったということなのかもしれません。
これから、広島にずっといるかどうかは、わかりません。 今後の住みかや人生を、別の都市に託すことも、選択肢のひとつではある。
ただ、広島という街を、大切に思う気持ちは、死ぬまで持ち続けられたら、幸せだなぁって思います。この街に、たくさんの愛する人がいる限り・・・
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