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2006年10月14日(土)
いじめについて想うこと

いじめって、いまの状況では、なくならないと思います。

もし、いじめられたならば、さっさと、転校すればいいのです。
そんな学校の中で、がんばることはない。がんばらないことをがんばるべき・・・


「これくらいのことを、いじめとは認識しなかった」
「子供同士のけんかに親が口出しすることはない」
「いじめられる子にも原因がある」
「誰が悪いかじゃなく、クラス全体でいじめについて考えていく」

そんなことをいう人に、なにをいっても無駄です。時間の無駄です!!
いじめられる子にも原因??なにを言っている。明らかにいじめる子が悪いんです!

いじめる子や、その親や、そのままにする学校に、なにを言っても、かわるわけありません。法律や罰というしっかりしたものがない現状で、そんな人たちと向き合ってもだめです。だめっていうより、なかなかわからせて、非を認めさせることって、難しいとおもう。

なにより子供が自殺してしまったら、元もこうもないもの。

いじめられていることって、なかなか親にもいえない。親も気づいてあげられたらいいのだろうけれど・・・。ただ、しんどかったら、行かなくていいんだよ。学校変わればいいっていう逃げ道を、普段から、ちょっとでも作ってあげたら。いや、最終的には、親しか子供を守ってやれないっておもうんです。逆に言えば、親がだめだから、いじめる子が生まれるわけでもあるし。

不条理なことがまかり通ってる学校で、いくら耐えてがんばっても・・・って思うんです。その耐えてがんばるエネルギーをもっと違う環境でがんばったほうがいい

もし、ほんとうにいじめをなくすのであれば、
きちんとした法の下に、いじめた子にも、その親にも、教師にも、刑罰を与えるくらいのことをしないと、学校という枠内のなかで守られて、うやむやになってしまう気がする。警察を介入させるくらいでなくちゃ。なにも罰がないから、いじめがなくならない。いじめる子だって、それがわかってるから、やりたい放題になる。いじめだって、こころに深い傷を負わせるし、怪我もするかもしれない。死に追い込まれることだってある。立派な犯罪だもの。学校以外の第三者の機関を作ってね、いじめられた子や親を助けることはしなくちゃいけないのかもしれない

クラス全体で考えていくとかっていうのは、違うと思う。
誰が原因で、誰がいじめて、誰が見て見ぬふりをしたのか。
それを、みんなにはっきりさせることが、なによりも第一なんじゃないかな。そんな当たり前のことができないのであれば、そんな学校行かせることはないし、ほかの学校に転校させればいいって思いますが。



ちなみに、
私は、父の転勤で4つ小学校を転校しました。そのうち、ある山村の小さな小学校に1年間通った。まぁ、都会から来た子ということで、仲間はずれにされるは、いじめられるわ。いまだに、その記憶は忘れないものです(まぁ、幼稚園から中学校まで、ほぼおなじメンバーのクラスだろうから、そういう中に新たに入っていくのは難しい)

それがね、その当時の同級生の何人かに、20才過ぎてから、偶然再会しました。そのとき、その人たちが言った言葉は、「こんど、地元で同窓会するから、ぜひぜひ参加してよ!久々に思い出話しようよ」すっかり当時のことは、美化されているというか、あきれるばかり・・・正直、「張っ倒してやろうか」とも思ったけどね(笑)いじめた子なんて、それくらいのものです。人に対してやったことについての認識なんて軽いものです。


学校によって、雰囲気や性格ってかなり違うもだと思います。だから、もっと自由に転校してもよいのでは?

きょうの日記、聞き流してくださいね〜
あくまで、いち意見として・・・



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
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