涙、憎しみ、後悔、苦しみ、・・・ その瞳の奥に、どんな隠された真実が秘められているの? などと、考えたコトが昔ありました。
人というのは、自分が見てるその人の部分って、ほんの一部分であるものです。まぁ、それだけ、内に秘めた、なにかを抱えている、そんな人に惹かれてしまうところが私にもあるから。
私にも・・・ある。 憎しみも、後悔も、過去の悲しみも、トラウマも・・・人には言えないことなどなど。 それで、失ったものはあまりのも大きい。でも、いまはそのことをプラスに考えるようにしている。私が手に入れた大きすぎたものたちを、手離して身軽になったととらえる。その結果、人とのつながりの風通しがよくなった。本質を見れるようになった。「人は、めぐりめぐる。」いろんな出会いがあり別れがあるという、その刹那を自然に静かにとらえられるようになった。その結果、人との循環がだいぶ上手く回っている。
案外、もうこれで逢えないな。関係が切れてしまったな・・・ と思っていると、ひょんなことから、その関係が復活するものです。友達なんかそうでしょ?遠くに行ってしまっていても、忘れた頃に連絡をくれる。切れそうで切れない、友情関係。時間が流れても、なにかしら、再開する機会というのがあるものです。
昔の恋人はどうだろう?? 僕だったら、二度と逢いたくない。街で見かけても、完全に無視をする。 過去の戻ったところで、なにも生まれない。思い出にすがりつく人生はもういやだ。
ただ、昔のことを笑い話に出来るだけの、人格的な深みがわたしにないということでもある。うん。こころに受けた傷や、言われた言葉なんかは、忘れられるものではない。時間が経ても、消えることはない。恋愛がらみだとなおさらだ。発展的失恋ならば、そういうことにはならないだろうが。こころの根底では、消えないこだわりが存在するのかもしれないな。悲しいかな・・・それじゃ、前に進めないや
まぁ、人は多面性であるという考えでいる私だからこそ、ちと疑心暗鬼になりがちな短所が足を引っ張る。仕事でもそうだけど、人間関係を良好に保つためには、ちと頭を使って、考えることも必要ではあるね。無理しないくらいで。自分の信念を曲げてまで、人に屈することは、したくないし。人のことで、自分を追い込んでしまうくらい苦しむのも、よくないから。自分は自分で。
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