私も、いろいろ複雑なのです。 もちろん、いままで流れてきた時間、さまざまな出来事が、いまの自分を形成しています。その上で、過去の、とある時点で、自分は、いつ、ひとりぼっちになってもいいように、生きていこうと思うようになった。 ひとり・・・どんなに周りに人がいようとも、たくさんの友達がいようと、いつもその関係の中では、背中合わせで、そういう孤独感という感情を持ち続けてしまうようになってしまった。 昔はね、親友とか、恋とか、永遠とか、そういうくくりの中で生きてきた。ひと言で言えば、深く狭くの人間関係。ずーっと続くと。しかしね、いろーんな出来事がありました。そこから生まれる結論、自分が変わったことでいうと、けっきょくは、ひとりなのだ。ということ。時間が流れてしまうと、人の気持は変わるし、人は去り行くわけだし、自分だって、人との別れと出逢いを繰り返しながら、知らず知らずのうちに、新しいものを吸収して、自分を変える糧にしてるものでもあるわけだし。
人と競ったり、勝ち取ったり、負けたり、奪い取ったり。そういうのは、もうほとほと疲れてしまった。自己嫌悪、嫉妬、疑心、裏切り、固執という感情を、自分に生まないためにも、まずはわたし。わたしから。私を好きになって、人を好きになってゆきたい。ということを考えるようになった気がします。たとえ、不幸にもみんなから、外されてしまっても、できるだけしれっと生きてゆきたい。どうせ、人は、自分が可愛いもの。大なり小なり、人を裏切ることも、嘘つくこともある。一方で、人を束縛したりしたくなるのだろうし。エゴといえばそうかもしれない。それをやさしくやりすごせるようになったら、きっと自分が見えてくるも世界は、広がっていくと思います。
人との関係、距離感って難しい。永遠の課題である。それは、人によって、さまざまなケースがあるからね。僕のことでいうと、過去、自分が弱かった時、けっこうあれやこれやと、愚痴をいったり泣き言をいったり・・・それを吐いて、そのときはすっきりだったけれど、相手が、それをどう受け止めてどう流すか・・・って大切だと思います。その相手に恵まれなかったものあったから、とんでもないことになるケースになったわけだし。 また、身近な人だからこそ、お互いの欲求とか、想いが満たされなくなったとき、結果的に相手に当たってしまったり、自分の疎外感にさいなまれたり。
ただね、苦い経験をしたから、「自分は凛として生きていこう」。自分のことを言葉にすることは、慎重になろうって、決めました。嫉妬や疑心、悪口などなどは、吐いたところで、自分にとっても、プラスになることは少ないな!って。その逆に、人が吐きたいことがあったら、だまって聞いて、翌日には、さらっと忘れるようにはしてるけれどね。溜め込むのはよくない。
さみしいとき、悲しいときは、だれかが、そばにいてほしいもの。絶対に、人はひとりじゃ生きてゆけない。弱いもの。それは、身にしみてわかったからこそ、孤独とかひとりになったとき、自分なりにやさしくそんな自分を認めて受け入れて、生きてゆきたいと、思います。過去のことからは、どう時間を費やしても消えない傷、溝もあるものです。自分が変わりたくても変われない部分もある。過去があるからこそ、いまの自分は、やさしくなれている。そして、もし、いまの自分の弊害のあるこころが、ゆーっくり時間を掛けて、癒されて、誰かを大切にしたいと思えるようになったとき、しっかり、ずっと想いつづけられるように。愛するということができるように。もちろんあせらないで、そう変わってゆきたいのが、自分の中の願いです。
もともと、幅広く知り合いを作るのは上手なのに、親友を作るのは、とても上手ではない。自分の想いとかを、うまく伝えられないもどかしさが、昔からあったからね。ただ、無理はしちゃだめ。自分らしく、しっかり根をはって生きて、あくまでさらっと自己主張をして、みんなに伝えて、そういう自分に声かけてくれる人には、しっかり答えてゆきたい。多分、自分は「静」の人間なので、自分から人にガンガンアプローチすることが苦手で、不得意だから。とにかく、いい人とひとりでも多く出会って、ひとつでも自分にプラスなことを吸収していきたい。
ぶっちゃけ、ここ数年、自分は一人身のままでもいいかな?などと、考えることもときどきある。現実に、両親には、そういう風に言っている。(親は本気で泣いていたが・・・)
どうして、こういう自分になったのだろう? 理由を突き詰めてもしかたないけれどね。
============================= 重たい日記になってしまった! あすは、ほのぼのした日記を書きませう。 みなさん、おやすみなさい。
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