こんにちは。コバルトです。 きょうも暑い中、おつかれさま。空をみると、雲がまったくありません。もう夏の空になってる気がします。向こう1週間は、晴天が続くようですよ。 わたしは、たまってるお仕事をせっせと片付けました。帰りにね、同僚とスタバでお茶したのだけど、さすがにきょうばかりは、アイスコーヒーだわ。
まぁ、昨日はあれこれ書いたけれど、のんびりやさしい1日を!と、おだやかに暮らしています。ひとつでも、ニコニコが多いようにって。 その裏には、いろいろなこともあるんだけどね。自分の弱さ、そして孤独感は、いつでもしっかり認識してて、元気との紙一重。いつまた、落ち込んだり、孤独感にさいなまれるか・・・だから、無理だけはしないようにと思っています。無理すると、人にも伝染しちゃうからね。プラスの球を人に投げてあげられるように。
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さてと、きょうのテーマは「ここちいい街で生活を」
わたしのいまの仕事は、幸い転勤というものはありません。しかし、自分のいままで生きていて、十数回引越しをしてきました。公務員だった父のことです。それは宿命だと、幼いころから割り切ってはいました。でもね、無理は来るのです。なんどもなんども、知らない土地で、いちから人間関係を築いていくのは、幼い自分にはしんどかったのでしょうね。いまの自分を形成してる多くの要素は、このこともあると思うのです。 小学校は4つ変わりました。いまでも、物置には、さよならの寄書きと、文集・手紙類がとってあると思います。さすがにわかれるときは、寂しくて泣いたり。もともと、あたたかみのある家族ではなかったから、けっこう孤独感は強かったな。のちのち高校のころ、無理が来てしまったが。
引越しって、僕はしないほうがいいと思う。ものごころついたときからの、幼馴染とか、ご近所さんとか。そういう存在はあったほうが、なにかといい。まぁ、サザエさんみたいにとは言わないけれど、子供って、家庭以上に、地域が育てるものだから。僕が専門学校時代、就職活動しているとき、どうしても譲れなかったのが、転勤のある職種。このころは、広島で暮らそうと思っていたから、どうせなら、しっかり広島にとどまって、この街を愛していこう!と決めたわけだね。
いまは、地元の街でけっこう長く住んでいます。しかし幼馴染は皆無ですね。それは寂しいものです。僕の人間関係は、高校以降しかまったく残っていない。よく、地元の夏祭りとかで、歩いてると誰かに出会って・・・ってことないしね。
でね、せっかくなら、街を愛せるような生活をしたいもの。散歩して、ここちいい。おちつく。発見があるなどなど、いろんな要素はあると思うけれど、自分にぴったりはまる街ってあるはず。そこを好きになって、ひとつひとつ、想い出を重ねていくことは、最終的にみて、意味のあることだと思います。 もちろん、嫌いな街もあるだろうけれど・・・(私も嫌いな街ってあります。県内の南のとある街。自分に密接に関わってるのに、いろんな理由もあってなんかしっくりこない) 一人暮らしされてる人などは、自分がいざ住むとき、かりる部屋をどこの街にしようか考えるでしょ?会社や学校に近いとか、駅があるとか、緑がおおいとかとか。ある程度のハードルなり譲れない要素はあって、それが大まかな方向性をつくるわけだね。
生活してて、散歩してて、買い物してて、せっかくなら、週末の散歩ルートを組み立てるだけの想像が広がるほうがいい。立ち止まって、その光景で季節をふっと感じられるほうがいい。懐かしい人と出会えたほうがい。そして、自分のストーリーを演出する舞台でありうるほうがいい。
「ここちいい」がキーワード。
ここちいい街、ここちいい人と出会うと、それはささやかでも自分の財産になる。時間が流れていっても、色あせることのない想い出となる。そのためには、嘘も惰性もない、しっかりした時間なり自分を築くことからかな。自分は、まだまだですねー。
だだ、すくなくとも、広島人ですわ。どんな素敵な街や、大都市へ旅行してても、新幹線から広島の街やビル群が見えたとき、こころが「ほっ」としてしまうもの。また、車を運転していても、バイパスから地元のガスタンクが見えた瞬間、帰ってきたなぁ。ふぅーって感じるもの。そういう瞬間、この街はここちいい街なのだと実感するのです
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