わたしは人見知りは激しい 半端じゃなく激しいのです。 きょうね、仕事でちょっと外に出かけていたとき、ある女性に出会いました。その人とは、学生時代の後輩にあたる人。ま、ちょっといろいろあって、いまは音信ないのですが・・・きっと向こうも目線が僕のほうにあったので、僕に気付いてたのでしょうけれど、僕もなんだか声かけづらくって。いや、一瞬だけどもね。そのタイミングが悪くて、結局すれ違ったままになってしまった。1分後くらいに、「あ、なんで声かけなかったんだろう」とかなり後悔する。(きっと向こうも同じ気持ちだろう)でも、「いまさら、過去の思い出に戻ったところで仕方ないしな」って気持ちにもなる。この彼女に限らず、たくさんいた学生時代の仲間とは、ある時点でぴったり交流がなくなってしまった。もう数年の空白があるわけです。僕から連絡取ればいいのだろうけれど、なんとなく遠慮しちゃってね。だって、みんなそれぞれ、その時その時の人間関係があって、過去の人間関係は忘れてしまう部分ってあるとおもうから。
人間との出会い、縁というのは、回りまわってる気がする。 常に新しい出会い、人間関係が僕のそばで大きく動いている。過去の仲間、知り合いなどなど、たくさんいるけれど、それきりで縁が切れてしまったり、別れたりすることもあり、ぐるぐる新しい出会い、別れを繰り返して、自分の時の流れとともに人間関係は循環していく。その循環のスピードが速いほど、いろんな人と出会って、その中で、長く付き合うことになるかけがえのない親友なり恋人なりが、舞い込んでくる
きっと、僕は、その循環のスピードは遅いかもしれないけれど、過去に出会った人たちはたくさんいて、でもほとんど関わりもなくなってしまって。でも失った分だけ、常に新しい出会い、人間関係も生まれていってると思うようにしてる。過去には戻れない。だから、過去の人たちの固執しないでいたいけれど、なかなか人の情というのは難しい部分もある。
長年の親友と言える存在は、僕には少ないな。 (友人はとても多いんだよ。でもどうも広く浅くの人間関係になってる傾向にある) だけど、本当に自分を信じてくれる人、必要としてくれる人に対しては、真剣に向き合ってるとは思う。どうも、自分の人間関係というのは、他人まかせの部分てあるね。よくないことだろうけれど。いつも受身。うん。人見知りで、人に遠慮ばかりしてるからだろう。きっかけは相手からということが多い。きっと自分から踏み込んで、相手の反応が冷たいものだったときが本当に怖いからかもしれないな。本当は、そんなことを怖がっていたら、なにも始まらないのだけど。
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