人はだれもが孤独? 僕は、少なくとも、いつもこころの中ではひとりぼっちなのですね。 きっと、人前では、別人格の自分・・・笑顔で、元気よくって、単純で・・・できるだけ、人を元気にしてあげたいし、ほっとできるような存在になりたいと願ってる。その上で、人と人の縁を結びつけるきっかけ役になれたら幸せなことです・・・でも、ふと一人になると、複雑にかなり深いことまでぐーっと考え込む。そのギャップに疲れる部分ってあるわけですよ。結局は自分はひとりきり・・・むろん、そのひとりきりは納得してる部分が大きいのですけどね。 2つの自分が両極端なので、人と、どちらの自分で接していこうか?って考えることが非常に多い。相手によってとか、その時の雰囲気とか。 もともと、高校生のころから、常時、人生について思い悩むような、そうとう文学的な自分だったけれど、いまの自分は、人との関わりあい方を習得したのもあって、人前ではそういう自分は見せることはないし、器用になったものだとわれながら感心。でも、もう一つの素直な自分の気持ちが表にでないことも、けっこう負担になることがある。誤解されてるから〜かなり人からは
人と出会う機会は多いです。その人たちに元気もらって、いろんなお話聞かせてもらって、いろんなことを教えてもらえる。でも、僕は常に「これで最後になるかも」って思うようにしてる。僕はけっこう、別れとか、人が離れていくということに非常に弱い人間なので、これくらいの気構えがちょうどいい。(来るもの拒まず、去るもの追わずということ?違うかな。)ただ、いま、会ってるこの人との一瞬イッシュンを大切にしたい気持ちという、「裏返し」の意味もあるんです。これで最後になるかもしれないからこそ、全力で、その人のことを知りたいとか話をたくさん聞きたいとか・・・限られた時間を大切にしたいもの。
これからもひとりなの?ひとりでいいの? そんな自問自答もたまにするけれど、だからといって、誰とでも友達になろうとか思わない。恋愛についてもそう。軽い恋愛することもしないと思う。しっかり、こころの深い部分で理解しあえる人ではないと・・・そういう結びつきって、本当に大切だよ。この人の為なら、この人だけを!しっかり静かに見守って受け止めていくこと。難しいけれど、大切だと思うんです。そういう人と出会うまでは、まだまだ道遠いかなぁ。 愛のかたちは、人によってそれぞれだけど、僕はこうなんだよってことだけは、もっと素直に出してもいいのかもしれないね。ま、あまり難しく考えないようにしよう・・・
あ、野沢尚さんが自ら命を絶ったというニュースを先ほどしていた。 僕にとってはかなりショックですよ。野沢さん脚本のドラマって本当に好きだったから。彼の描く「愛」というのは、サスペンスがベースなので、スリリングだけど、しっかりとした社会性もある、そんな中での純粋な愛だったように思います。僕は「青い鳥」「素晴らしきかな人生」というドラマが、一番好きでした。 脚本や小説に、自分の思いをぶつける・・・いろいろなこころの葛藤の中で、ぎりぎりの線で自分を追い込んで、繊細にひとつひとつ言葉・文字していく。大変なことだと思います。 死を選んだということの裏には、死することで何かを伝えたかったってことなんじゃないでしょうか?
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