Land of Riches


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 2024年02月14日(水)   悲しみ、苦しみは人生の花だ 

『悲しみ苦しみを逆に花さかせ、たのしむことの発見、
これをあるいは近代の発見と称してもよろしいかも知れぬ』

今年は3連休が多く、有休消化率を上げるのに苦労しています。
この日も定時退社すれば間に合う夜公演なのに午後半休を取得して退社しました。
目的地は『子午線の祀り』以来の世田谷パブリックシアター。
あの朗読劇は4時間の長丁場でしたが、今回の『エウリディケ』は1時間半です。
途中、渋谷の万屋本舗に寄りましたが、御供散歩ステッカーは初回出荷のみなんですね…。

三軒茶屋は面白そうな飲食店たくさんあるのですが(薬草サワーの店が気になった)
平日の昼間から営業している店はそんなにありません。残念。
今回のタイトルは太子堂八幡で引いた生まれ月別おみくじに書いてあった
坂口安吾(10月20日生まれ)の言葉です。末吉だったんですけど、
大吉〜末吉しかないと明記してあったので、要するに一番悪い運勢です。
今は耐える時、生きていればこその人生、希望を持って仕事を続けろ…とあって
なかなか当たっているだけに複雑な心境でした。悲しみや苦しみは不可避ですが、
それを花にたとえるならドクダミのようなもの、歓喜のバラなどとは違い過ぎるでしょう。

エウリディケは琴座のギリシア神話を現代劇に翻案したアメリカの作品です。
和田さんが演じるのは主人公エウリディケと音楽以外に興味がないオルフェ。
この役名はフランス語読みみたいです。ギリシア語ではオルペウス。

冒頭、エウリディケとオルフェが海岸で戯れながら指輪を贈る=プロポーズする
ラブラブシーンから始まるのですが、この時点で二人の価値観があまりに合わない
(オルフェはエウリディケに音楽センスがないと感じているし、エウリディケは
読書の良さが分からないオルフェに辟易している)伏線が敷かれています。

神話では毒蛇に噛まれたエウリディケですが、今回の作品では挙式当日に
喉が渇いたとポンプまで外出(ここでもオルフェは人に会いたくないと
シャワールームに籠っていると言われている)したところ、死者の国の王に見初められ
転落事故死してしまいます。死者は冥界へ入る前に忘却の川へ浸され、
生前の記憶を失ってしまうのですが、なにゆえかそれに抵抗して語彙力をキープしていた
亡父(冥界から娘に何度も手紙を出しており、このために死者の国の王が
彼女の存在を知ったと思われる)に多くを学び、オルフェの記憶を取り戻します。

一方、彼女を取り戻そうとあらゆる手段を…なかば狂気に染まりながらも
尽くしたオルフェはついに雨だれと共に冥界入り。原典通り、その音楽によって
人の情など解さない石すら泣かせながら最愛の彼女と再会します。
ただ前を向き現世へ戻る―二人に課されたタスクをぶち壊したのは、
あと少しだと緊張の糸が切れた、あるいは油断したオルフェではなく、
うっかり恋人の名を呼んでしまったエウリディケの間の抜けた面であり、
(この失態をリズム感のなさとなじるオルフェはそれでそれで自己中心的)
恋人に呼ばれて思わず振り返ってしまったオルフェの反射でした。

娘が二度目の死を迎えた悲嘆からあれほど拒絶していた忘却の川へ自ら身を浸す父。
そんな父の様子に愕然として、オルフェの次なる彼女へ手紙を書いてから
同じく忘却の川へ身を投じるエウリディケ。ラストシーンはオルフェが冥界へ再来し、
その手紙を足で踏むシーンでした。作中で記憶を取り戻す前のエウリディケが
手紙が何かを知らず足で踏む場面があったので、オルフェも原典に倣い、
エウリディケを取り戻せなかったのに絶望して死を選んだと推測されます。

バレンタインデーは和田さんの初舞台記念日なのでチョイスしたのですが、
内容としてはバレンタインに見るべきものではなかったかと(苦笑)
ギリシア神話がバッドエンドなので、幸せな終わり方するわけないんですけど…。
悲恋と言うよりは価値観の相違が破滅を呼ぶとでも言いたかったのかな、と思いました。
(この作者さん無邪気な女性に何か嫌な想い出でもあるのかなと思ったのは事実)

死者の国の王が幼いことを表現するのに崎山さんが三輪車こいでいた風景に
記憶の7割ぐらい持っていかれてしまったのですが、和田さんはヒキゲキみたいに
純粋ゆえの狂気一歩手前を演じさせたら上手いなあと思って眺めてました。
序盤のイチャイチャの時点で常人とは完全に感性がズレているのが明らかで…。
それでも本気でエウリディケを溺愛していたのも伝わってくるという。
(だからこそ最後に死後のオルフェがその感情を失った空虚な姿なのが刺さるというか)

他人は変えられないんですよ。構成要素100%を支持するのも難しい。
違う生き物だと理解…諦観した上で、愛するしかありません。
推し活や、Fセク・Fロマ(いわゆる夢女子・夢男子)は見たくない面は
無視する・目を背けることができる、楽に走った逃げの行動なのは否めません。
でも俳優だって綺麗な面ばかり見ているから錯覚してしまう…という梅津さんが
ファースト写真集で話していたことは真実です。俳優ですら、醜い面はある。人ですから。

愛って崇高なのかは分かりませんけど、奥が深いのは感じられます。愛の形は人それぞれ。

2024.2.17 wrote


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