Land of Riches


IndexBeforeAfter

 2017年11月18日(土)   全てが焼け焦げた後に 

あまりに平日が辛すぎて、まともな精神状態を維持するのが難しくなってます。
今夜は冬のワンフェスで未完成原型を見て以来、恋い焦がれていた
へし切のガレージキットを予約できたので、少しだけ上向いてますが。

何をしたいのか、何が楽しいのか、何が望みなのか、全然分かりません。

今日は埼玉県立歴史と民族の博物館で行われてる上杉家刀剣展の講演会へ。
500人入る講堂を会場として設定(抽選の予告すらしてたから強気だったんですね…)するためとはいえ、
博物館は大宮なのに、講演会場は嵐山町。らんざん、と読むのは今日初めて知りました(阿呆)
東上線の、東松山よりも先ですよ。人生で小川町に行ったのは一度だけなので
(日帰り温泉がある)半生で二度目の遠出ってことですね。

講師は佐野美術館の渡辺館長。上杉家刀剣展でも個人的なコネで
かなり展示品を引っ張ってきたようなので、来年の不動もそうなんでしょうね。
(恐らく以前の太鼓鐘も同様)
一般的な歴史の話題だと人名読みも一部あやふやなのですが、
刀剣の話になると声色が明るくなって生き生きする辺り、流石元祖刀剣女子です。
女は刀に触るなと学芸員の世界ですら言われていた頃から携わっていた方ですから。

上杉家がやたら古い刀を拵え含めて保存しているのは展示を見てきた時も感じましたが、
実は備前刀(特に一文字)が多いんですね。これにも理由があるのでは、との推測でした。
鎌倉時代、宮家将軍と共に関東に下った元貴族の上杉家。
鎌倉にも正宗をはじめ相州鍛冶がいたはずですが、北条に近しかった彼らではなく、
わざわざ備前に発注した太刀を三島大社に納めたのでは…とか。

大太刀は馬上で使われたわけではなかった、鍔無しの刀は差せないから
供の者に持たせるしかなかった、等興味深い話を聞けました。
あとは戦前まではかたくなに国宝指定すら拒んでいた上杉家が、
GHQ接収以降は大量に流出させてしまった話も悲しかったです。
(USAで大事にされている三日月が今回帰国したりもしますが、
 逆に買い戻されたはずのからかしわの拵えが所有者が国内で分からなくなったりなど)

今の上杉家の当主、五虎退だけは自分の所有物として上杉博物館に寄託しているそうで。
粟田口吉光が贈り物として品格が最も高いとされていたのはうなずけます。

帰りに嵐山史跡の博物館の刀剣展示も寄りました。入場料100円は安すぎ!
コレクター(埼刀保)が持っている慶長新刀が中心でしたが、
織田信長が贔屓にした尾張鍛冶(伯耆守信高。19歳で官職をゲットさせたのは
信長の尽力だし、名前の一文字も与えている)の作品だったり、
伊達政宗が畿内に修行に出させた刀工の作品だったりもしました。

特別出品として群馬県の指定文化財が出てたのですが、銘の国重は
長谷部国重の末裔を名乗っていたから…という説明に苦笑いもしました。
平家落人伝説並みの信憑性ですね。名前の偶然の一致…?

畠山重忠の館跡をそのまま博物館等にして保護する埼玉県の姿勢を感じ取れた機会でした。


やぶ |MailWeblog