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Land of Riches
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今年3回目の水戸…徳川ミュージアムに行ってきました!(自爆) 2回目は突発的に決まった同行だったとは言え、その感想すら書かぬうちに3回目とは。
まさかの目標金額1000万を掲げ(蛍丸は4500万以上集まったけど、 web完結・クレジット決済可能なクラウドファンディングだからのが大きいかと) まだ230万以上に達していないからと寄付のお願いを出している徳ミュ。 若手が鍛える蛍丸と異なり、日本を代表する刀匠二人にお願いするんだから仕方ないか…。 その支援をあおぐ“中間報告”の意味も含めて組まれた徳川の武・刀剣展が今回のめあてでした。
水戸駅のバス4番乗り場で審神者っぽい人を見かけなかったのは初めてでしたが、 さすがに館内に入れば、やはり燭台切のパネルとツーショットを撮る coachのバッグを手にしたお嬢さんはいるわけです。相変わらずの人気ですね。
常設展は武庫刀纂をはじめ、何度も見ているアイテムなのですが、 企画展は家康遺物を丁寧に描いたリスト(伝来品をカラーイラストにして 保存状態などを江戸時代から記録しているのは、どこの大名家でもやってますね)など 初見のものも多く。企画展の部屋はシャッター音が響くから撮影は禁止だったのですが、 なんだかんだで7月末からは全面解禁になっていたようでした。
徳ミュで最も華がある展示品が入るショーケースで燭台切を眺めた後、 震災以降ずっと閉ざされていた第3展示室に足を踏み入れました。刀剣部屋です。
まずは普通の刀…普通、というのも変な言い方ですが。焼けてない刀です。 水戸徳川家にある“普通の刀”で一番の名品・鉋切長光も展示されてました。 刀身よりも二重の大きな箱が、その重要性を強く伝えかけてきます。
関東大震災で刀剣の蔵にてバックドラフトが起きた水戸徳川家。 代々伝わってきた名刀は全て蒸し焼き…黒焦げになりました。 それでも水戸徳川家は160振り以上の被災刀を保管し続けました。
この時、見舞いとして徳川本家より贈られたのが鉋切でした。 織田信長以前の来歴さえ伝わっている、とても由緒ある太刀です。
他の“普通の刀”も、それ以降の婚姻や交友関係で持ち込まれたものでした。 (斉昭自作は、鞘に自作の和歌を散らす相変わらずのナルシストぶりでした) 当時の月山刀匠に再刃を依頼した1振り(雲次)も展示されていました。 茎は他の被災刀と同様に真っ黒、刃は綺麗でしたが直刃でした。 大坂の陣で焼けて再刃された刀も、みんな直刃です。 燭台切を再刃しても、光忠独特の派手な刃文の再現は困難を極めるのです。
燭台切は被災刀の中では状態の良い部類。 昨年5月以来、ずっと聞いてきた話ではありますが、百聞は一見に如かず。 調査を担当した大学の先生がチョイスした10振りほどの名刀が箪笥ではなく 展示ケースに置かれていたのですが、審神者レベルなら名前を知ってそうな銘が 見える(新藤五とか国俊とか)黒焦げの金属に価値を見出すのは、非常に難しく見えました。
黒焦げなだけではなく、一部には青さびも見えます。 美術品として人前にも出せない、160以上の黒焦げの金属片。 これに価値を見出して、太平洋戦争さえ超えてきた水戸徳川家の偉大さを痛感しました。
それでも、今まで展示に値しないとして布にくるまれて積まれていた金属片たちが 業者も滅多にやれない案件だと奮起して仕立ててきた桐箪笥×2という 寝床を得たのは、とうらぶがあってこそです。いつか、とうらぶが忘れ去られても、 そういうブームがあったこと自体は、箪笥と共に水戸徳川家が未来に伝えていく。 その重みに圧倒されて、展示室に入り直してまで箪笥を眺めました。
客のリスエストで添えられた、どの刀がどの刀匠の作によるものかという説明。 光忠とか友成とか普通に入ってるんですよ。八丁念仏とか。 失われた価値の大きさと、それでも守られてきた意義の大きさと、 それらを表舞台に引っ張ってきたエネルギーの大きさ。 どれも、偶然で噛み合ったようなもので…こういうのを、歴史と呼ぶのでしょう。
ともかく、刀剣箪笥を見ただけで水戸に行った甲斐があったと強く感じました。
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