Land of Riches


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 2016年07月15日(金)   先達が役に立たない世界 

刀ステのキャスト6人が渋谷パルコ前の狭い路地に設けられたステージで
見事な殺陣を披露するという神イベント(ただし整理券の倍率は10倍以上)と
同日になってしまったla kagu sokoでの刀剣講座3回目に行ってきました。

私が講座の存在を知ったのは永青文庫がRTした時なので、既に4回シリーズの
2回までは申込終了しており、3回目はあえてとうらぶを匂わせてきてて
絶対倍率高くなるだろうと読んだから、sokoのtwitterをフォローしてまで待機してました。
申し込んだのも仕事中で(こらこら)結局夕方までには空席埋まりましたし。

…もともと4回通しで申し込んだ審神者が多かったみたいですね(受付簿盗み見による)
だから渋谷に行って席を空ける人もいるだろうと予測していたのですが、
sokoの狭いスペースに長椅子まで動員して無理やり詰め込んだ、なかなかの人口密度でした。

まずは講師の末兼さんがキョーハクからトーハクに島流しになる際、
こっそり搬出した冬の刀剣展リーフレット50部争奪戦が行われました。
刀剣の“表現”(例:腰反り高く踏ん張りあり)を分かっている人なら
すぐに分かるという、配布資料の刀がどこのものかを当てるゲームです。
“表現”は実態を示すというよりも、本阿弥家などが策定したルールみたいなものらしいです。
こう書いたら産地はここ、みたいな。私はリーフ持ってるので参加を放棄しました。

なんと来場者8万人を記録した冬の刀剣展。とうらぶ声優も起用した音声ガイドは、
末兼さんいわく「“勝手に”作られた」ていとなっているようです(笑)
年度末までに収支を合わせなければならない国立博物館ゆえ、
結構な額の利益はレアな刀や絵画などの購入に当てられたとのこと。

骨喰はじめ京都の寺社にある刀剣は、大抵がキョーハク寄託の扱いとなっており、
声を掛ければあのくらい集めるのはそれほど難しくないみたいです。
本来は法律で年80日が展示限度とされている重文の骨喰、昨年度の労働日数は200日。
末兼さんは文化庁の人に怒られ、今年度は4週間のみで、徳美での鯰尾との再会と
真田丸展で折半するようです(twitterで呟いたらめちゃくちゃ拡散されて、
通知欄が機能不全に陥ったのですが、今ノート見たら数字が違ってた。無視無視)

『日本刀名鑑』という1600ページを超える厚い本が現在、刀剣を語る上では
頻繁に引用されるものの、この本は当時あったあらゆる?刀剣本を集めただけのもの。
ほとんどが昭和以降の本で、江戸時代に遡れるのも数冊という有様です。
今、南北朝以前の刀について書いた書物は見つかってないのです。

冬の刀剣展の目玉だった髭切・膝丸のモデルとされている刀の同時展示。
神聖付与(舶来技術&八幡大菩薩)+性能実験(髭や膝を切る)という
威信財の補強パターンは、複合して“超常のモノを切る”伝説となりました。鬼退治とか。
時代が下ると鬼と言われても信憑性が欠けるので、燭台や棚などの身近な物になったのかも?と。

源氏の祖・満仲が造らせた刀、というバリューはやがてヒトとモノの立場が逆転。
威信財を持っている者が正しい、と見なされるようになります。

御鳥羽帝が刀を打った話は同時代の公家の日記などには全く登場しません。
菊御作と現代言われている刀は山城伝だったり備前伝だったりと作風はバラバラで、
各地から呼んだ御番鍛冶を手伝った程度かもしれない…とも言われています。
ただ、現代言われている刀の花弁は12枚。応永30年の本ですら16枚だと勘違いし、
現代も末兼さんたちが素人に指摘されるまで気づかなかったくらいだったりします。
刀剣の研究は他の分野と違い、とかくいい加減(普通は稲作が実は縄文時代から
始まっていた…という風に古くなるものなのに、刀剣は実は平安時代ではなく
鎌倉時代の作品でした…と新しくなってしまうのが通例)なのです。

髭切は銘安綱として文化財登録されていますが、古伯耆風で13世紀のものと
末兼さんは推測しています。そもそも銘が入っている現存刀で最も古いのは1161年もの。
これすら信憑性が疑わしく、基準として使えないのです。
古備前の正恒や友成も12世紀と言うのは厳しく、鎌倉時代(13世紀以降)みたいです。

トーハクのキャプションは119字縛りがあるそうですが、童子切に添えられた
10世紀〜12世紀という表記を末兼さんは絶賛していました。嘘はついてないと。
酒天童子伝説と結びついたと考えられる、という絶妙な表現になっているのです。
伝説は10世紀、作風は古めに見て12世紀…という感じです。

とうらぶは歴史を修正させないために戦うゲームですが、末兼さんが
「“歴史”は常に修正されるべきで、変わらない歴史などない」と
おっしゃっていたのが印象的でした。

あと気になってメモした(詰め込みすぎて他の講座みたいに机もないので、
膝上でぷるぷるしながら殴り書き。しかも長谷部フリクションインク切れるし)のが
ハバキの材料。大名家では名刀に純金を使っていた…というのが今までよく聞いた
定説だったんですけど(後日行われた徳ミュのイベントでも言われてたらしいし)
末兼さんいわく、大名家でも近世(江戸時代)は銅が大半みたいです。
一部金メッキ。金や銀が出てくるのは近現代(明治以降)だとか。
黒田家の刀剣はみんな純金ハバキですが、昭和までは黒田家にいたわけですから…。

□忠(膝丸は鉄ハバキの腐食で銘が読めないため□が使われている。
怪しい時は漢字を四角で囲むのがルール。髭切は明治期に本阿弥某の
上奏を鵜呑みにして名付けられた明らかなルール違反)は
刀剣展では光忠の父・近忠の作ではないかとされていましたが、
近忠は有銘が残っておらず、検証の余地がありません。
宗忠だとすると、他の作品と似ておらず、しかも年代が下がってしまうんですけど…。

誰の作か議論になるのは、それだけ当該作品のレベルが高いから。
愚作はまず揉める対象となりません。伝承を仮託されるモノは作品レベルが高いのです。
では、何故違う時代のモノに歴史を託すのか。
モノを通して歴史(ヒト)を見る―どういう人が、何故そんな歴史を仮託してきたのか。
物が語るゆえ、物語というフレーズが刀剣展の音声ガイドで出てきたのも、
刀剣研究のあるべき姿を意図してだったようです。

比叡山の焼き討ちもよく知られた伝承ですが、本当に起こったのかは
比叡山ドライブウェイの工事で人骨も火災痕も見つからなかった
(火事は鎌倉、室町のしかなかった)ので、モノからは証明できないみたいです。

粟田口の系図も、刀剣書が時代を下げるにつれ謎の増補があったもの。
名前も定かでない女子が追記され、名前はないのに没年があるとか…。
そもそも「藤林」と記されているのは誰なのか、とまで言ってました。

骨喰は室町時代から名前が出てくる刀ですが、当時の名は二文字のみ。
彫り物には不動明王と毘沙門天の凡字が同居し、この二つを並べて祀るのは
日本だけなので12世紀以降の産物だと推察することが出来ます。
所有者を観音に見立てた、天台教学に基づいた守り刀(薙刀だけど)だったようです。
名前の由来は、なかなか切れ味鋭く攻撃的に聞こえますが。

特徴である彫り物は、備前景光(長光の息子)の刻んだ龍や不動明王にそっくり。
当時、備前・伯耆・山城の刀工は交流が深く、類似して判別しづらいとは言え、
これは吉光の作ではないのでは…というテンションだだ下がりで講義終わりました(苦笑)

「骨喰藤四郎」という名は、太閤刀絵図が初出のようです。
(そもそも吉光の幼名?が藤四郎だったという証拠はないのに、何故かそう呼ばれている)
先日、石川県立美術館で見た大友本、紙が桃山時代のコーティングしないやり方に
基づいているから同時代の本物だとニュースになったばかりなんですけど、
末兼さんはその判断に懐疑的でした(苦笑) 吉光の価値を一気に高めたのは、
やはり秀吉なんですね。とうらぶでは家康が主犯みたいな言われ方でしたけど。

その回想で贋作疑惑に触れていた厚藤四郎。鎧通しは鎌倉時代には存在しないので、
彼もまた吉光の真作かは怪しいところですが、それでも彼は藤四郎として名将を渡り歩き、
だからこそ今も国宝として大切にされているのです。その事実もまた歴史です。

2016.7.17 wrote


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