Land of Riches
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2011年12月31日(土) |
あげたかったのは未来で |
踏み入れた足を遠くの理想が そっと癒してゆく 確かな絆を強く握り進もうどこまでも 穢れきった奇跡を背に
大晦日企画の冒頭は、歌詞の引用なんですが…今年はテーマソングなくて、 いきなり躓いてしまいました。TOP3は、すぐ決まったのに(苦笑) 仕方ないので(…)今年唯一、生歌を聞いた「oath sign」から拝借しました。 「oath sign」は、猫耳男性俳優と並ぶ(!)眉山の素敵な想い出でです。
これは、10月から放映開始の「Fate Zero」オープニングソングです^^ アニメ版Zeroというか、ZeroあるいはFate Cafeに、秋以降、いくらお金を使ったか。 ufotable cafeのメニューは全陣営制覇中です。コンプリートはしてませんが。
…おっと、大晦日企画の趣旨から外れてしまいますね。 元へ戻るために、今年は復習しましょうか。
2000年:アントラーズと順天堂大学の練習試合…後 2001年:羽田憲司選手、ワールドユース直前に骨折!! 2002年:新横浜駅新幹線改札での遭遇 2003年:ホームタウンへの引っ越し 2004年:9/19・柏レイソル vs FC東京@柏の葉、ホーム側に掲げられた横断幕 2005年:[ReysolU-18] 8/28・千葉県サッカー選手権(天皇杯千葉県予選)優勝! [Others] 6/4・羽田憲司選手4年間のリハビリを乗り越えカシマでスタメン出場!! 2006年:レイソルU-18、クラブユース選手権第3位 2007年:[Reysol] 12/23・レイソルU-18、サハラカップ準優勝 [RKU] 7/25・RKUとレイソルが日立台で練習試合 2008年:11/30・流経大vsガイナーレ@たつのこ、ドリームクラッシャー 2009年:RKU、大学リーグ2連覇!! 2010年:10/2・柏レイソルvs栃木SC、船山さん日立台へプロとして凱旋
…復習するだけで、画面が埋まってしまいますね。恐るべき加齢っぷり(涙) さて、2011年版“サッカー関連で印象に残った出来事”TOP3、いってみましょう。
第3位:3/11・東日本大震災
これが1位でないのが、私の2011年をある意味、象徴しています。 (同じフレーズを何年か前に使ったような…?) いや、身近の誰よりも、私の震災体験は“希薄”なのです。
何故なら、翌日に控えていたサガン鳥栖vs栃木SCのため、鳥栖市に滞在していたから。 地震を知ったのは、フレスポ周辺をウロウロしつつ見たtwitterのTLでした。 もちろん、揺れなど全く感じられず。とはいえ、いても立ってもいられず、 早々と引き上げたホテルでノートPCを借り(フロントの人も他人事のような言い方だった)、 TVをつけると…宮城県の河口で津波が全てを飲み込んでいく映像が生中継されていました。 9.11で飛行機が激突した瞬間くらいしか、匹敵する出来事が思いつかない非現実感。 夜の深まりと共に、TLには帰宅できないという叫びがあふれ、 遠く離れた自分が出来たことは、TVで拾った交通情報などを投下する程度。
同僚、友人、家族、親戚…誰もが、遠く九州にいたのは運が良かった、と口を揃えます。 私、震度4以上体験してないんです。鳥栖から帰還した翌日も電車のダイヤは 乱れていましたけど、前夜ほどではなく、自宅も多少、物が落ちていたくらいで。 (自分とは別に発送したバッグは、“福島に近い”千葉県在住だから、 受け取りに時間が掛かってしまったんですけど…)
占星術では天王星が星座を移動するタイミングで、大きな変革があると 言われていましたが、まさかこんな最悪な節目になろうとは…! サッカー界のみならず、日本社会を大きく変えてしまった大災害。 このオフの移籍さえ、家族を西日本に住まわせたいという意思が 少なからず影響しているという説を唱える人もいます。 人としての幸福は、選手としての幸福よりも大切ですから(←今年学んだこと)
午前練習後、翌日の試合でゴールを決めてくれると言ってくれたんです。 今となっては、そんな言葉があったかさえも、なんだかあやふやに感じられます。 初めてだったのに、そういう言葉。 それくらい、いろんなことが変わってしまったのです。本当に色々な意味で。
第2位:12/4・松本山雅J2昇格決定
見出しにリンクが張られていないのは、観戦記が全然書けなくなってしまった 自分の愚かしさを示しているはずですが、これは…そもそも、見てません。 4日に決まると思ってなかったんです。最終節までもつれ込むと予想して、 どんな顔でシーズンを終えるか、この目で見たいと、11日のアルウィン行きを取りました。
しかし、終わってみれば、V・ファーレンが黒星を喫したため、4日で山雅は昇格決定。 その前日、西が丘で違う試合を見ながら、船山さんは大一番にとても強いから、 ホンダロック戦でもやってくれるだろう…と考えながら通路を歩いてはいたのですが。
地域リーグ時代から、熱狂的なサポーターを擁する松本山雅FC。 RKUがJFLにいた頃から、存在を知ってはいたのですが、まさか縁あるチームになるとは。 山雅の試合へ通うため費やした時間は、あまりに濃密で、船山さんが栃木SCより レンタル移籍してプレーした期間は4ヵ月半に過ぎないだなんて、やはり信じられません。
山雅といえば、松田直樹さんの死去を語らないわけにいきません。 あれは、船山さんが移籍して、練習へ参加し始めて数日後の出来事。 私も、9月に柏消防署で救命講習を受けてきました。船山さんも受けたはず。 でも先日、川へ溺れた女性を助けた新潟ユースの選手のように 「救命講習受けて良かった」と言えるほど身についているかは、怪しいところです。
私にとっての「山雅の船山」の第一印象は、会社を休んで強引に駆けつけた 湖南でのアウェー戦後、スタンドへ掲げた3番ユニフォームを手早く、 かつ綺麗に折り畳んで片付ける姿だったりするのです。目に焼きついてます。
天皇杯準決勝では、対戦相手として石戸さん@アルティスタを拝めるめぐり合わせ。 会場だった伊那では、私を変えてしまったおばあさんとの出会いがありました。 60代にして、昨シーズンまではゴール裏で声出しに参加し、その日も朝5時に起床、 農作業を一通りこなして塩尻から駆けつけたというおばあさん(全然60代には見えない 元気そのものの若々しい女性でした)は、とうもろこしを配ってくれたのみならず、 山雅の応援には必須アイテムであるタオマフも、押し付けるように貸してくれました。
♪止まらねえ俺たち松本 暴れろ荒れ狂え らららーららーらららー 叫び(おい!)歌え♪
試合前に回し(天皇杯マリノス戦@富山ではスタンドの半分が回すという絶景が…)、 ゴールが決まれば回し、勝てば回す。欠かせないがゆえに、バリエーションも豊富。 私は、ゴールドが混じっているバージョンの物を購入し、あちこち持っていきました。 船山さんのゴールで、歌うの、ずっと夢見てました。これは、実現してくれましたが!
今(←今更?)wikipedia見たら、山雅は全選手のチャントを作るのですが、 加入直後には出来なくて、何故なら選手の特徴を把握してから…と書いてありました。 ♪いかしたゴール見せてくれ♪という船山チャントも、そうやって生まれたのでしょう。 実際、宮崎で決めた先制弾は、なかなか凝った体勢で、想像を超えてたんですが。 ともかく、そのチャントが試合前に初めて披露された時の、アップしていた 船山さんの嬉しそうな応え方も、忘れられない視覚の一つだったりします。
移籍してからも、何度かお話をする機会があったんですけど、船山さんは心底 山雅のサポーターに魅せられたというか、大好きなんだな…と勝手に感じています。 選手としての幸福、父親としての幸福―今年の船山さんは両方を手にして、 本当にいい顔をしていました。眺める私にも、素晴らしく満たされた時間だったのです。
第1位:10/9・マチ★アソビで眉山登頂
正確には前後を挟んだ3日間ですね。特に終盤、長距離遠征多い年でしたが、 この徳島遠征で久々に往復夜行を試み、なんとかなるのに気づいてしまったからかも。
ヴォルティスに輪湖さんが在籍し、J2リーグ戦がずっと行われてきたのに、 足を運びはせず…徳島県は、JRで通過経験があるのみの実質未踏県でした。 そこへ私を連れて行ったトリガーは、サッカーではなく、アーチャー(5次)の 声優である諏訪部さんを招いての公開録音だったのです。ひどいでしょ!(笑) アーチャーの主人である遠坂凛役の植田さんと一緒と来ては、外せません。
船山さんが格上、そして先輩へ挑む天皇杯も外したくなくて、プランニングしたら 松本経由で夜行バス徳島入りという無謀な日程になってしまいました。 そりゃ、店もやってなくて真っ暗な徳島駅前で躓いてスマホ落とすよ!(開き直り)
マチ★アソビは、帰宅直後のLR、あるいはインタビューズでも書きましたし、 問題が発生しなければ、来年5月(次回)開催のvol.8パンフレットにも 感想文が掲載される見込みなので、そちらを見て頂ければと思いますが、 サッカーで下部カテゴリーへ行くほど『地方都市』へ行く機会が増える身としては 勉強させられることも多いイベントでした。まさかの後夜祭まで参加しちゃいましたから。 (プレイベント@阿佐ヶ谷も後夜祭@新宿も、しかし都内開催なのがポイント)
5月にもFate/Zero関連イベントあるようですし、vol.7ではなかった橋の下美術館見たいですし、 なんとかヴォルティスの日程と上手く噛み合ってくれないかな…と願うばかりです。 一応、後夜祭アンケートでは、地元Jクラブとコラボレーションしてほしいと書きました。
2011年は、アーチャーやFateのみならず、声優としての諏訪部さんの活動にも 少し幅広く触れてみた年でもありました。下ネタ苦手なんで、ロンハーは聞いてませんが(あ)
諏訪部さんは、特に仕事に対する姿勢を尊敬していて…ツイートやブログのエントリで 刺激を受けるたび、自分の実際の職場では、知的欲求あるいは向上意欲を かきたててくれる先輩には恵まれなくなってしまったんだ、と感じもしたのでした。 なんて言いますか、同じ部署に5年以上いて、下ばっかりが増えているんですね。 (役職的には私が一番下なので、職歴の長さという意味で…です) 教わるより教える・指摘する回数が、ずっと多いです。経験を積めば、 そういう立場になるのが、社会人としては当たり前なのかもしれませんけど、 物足りなさを覚えているのも、また事実でして。もっと本も読むべきでしょうか。
生きている人と会って言葉を交わすのは、本を読むよりずっと、勉強になります。 今まで触れたことのない領域の人とやり取りするのは、心理的負担も小さくないですが、 得るものもまた、小さくありません。そういう意味でも、出会いのあったマチ★アソビでした。
なんだか、いつになくサッカー関連と称するのに無理があるTOP3ではないかと。 間違いないのは、こんな私と縁のあった全ての人に感謝している、ということ。 皆様の2012年がより良いものであるように祈りながら、締めくくらせて頂きます。 2011年も大変お世話になりました。皆様ありがとうございました!
2011.12.26 wrote
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