Land of Riches
Index|Before|After
2011年12月17日(土) |
【観戦雑記】天皇杯4回戦:横浜Fマリノスvs松本山雅FC |
日が差す時間もあれば、時折雪も舞う、まさに日本海側の12月だった富山。 (朝8時からオムライスを食べられる喫茶店がオープンしてくれて助かりました) 紅茶を飲みに行ってはg-clef@高円寺のクリスマスプレートは良かったと思い、 その店へたどり着く直前に成田山富山分院を発見しては運命を感じた往復夜行遠征でした。
山雅サポーターのバスツアーは2社で20台、参加者は4桁に達する勢いとされ、 帰りの道も松本ナンバー(横浜ナンバーや湘南ナンバーもいましたが)で 渋滞が起こる有り様。私が陣取ったバックスタンドから見て、左半分(山雅側)全体で 試合前恒例のタオルマフラー回しが行われる光景は壮観で、ゾクゾクしました。
マリノス相手に木島兄弟が先発しまして、船山さんはベンチスタート。 試合自体は、マリノスの10番小野さんのハットトリックワンマンショーでしたが (彼もユース上がりだから、よく存じているわけで…はい) ボールコントロールや視野の差は歴然でした。なるべくしてなったスコアというか。
無論、だからといって、4回戦まで勝ち進んだ松本山雅の奮闘が穢れるわけではありません。
船山さんのハーフタイム練習での枠内シュート率は高く(格上には強い人です)、 練習の途中から消えたので、出番じゃないかと思ったら、やはり後半から投入。 苦戦は変わらず、なかなかボールに触れませんでした(前線までボールが来ない)が、 時には中澤さんを背負い、サイドの上がりを辛抱強く待っていました。 幼少期に身につけた、ポストプレーヤーとしてボールを止めるスキルは健在なんです。
山雅は最後、弦巻さんを入れて“守備を捨てる”(←やぶ的解釈)布陣を 敷きましたが、一矢報いることはかなわず。長い2011シーズンは幕を閉じたのでした。
…って、自分が山雅を見始めたのは、8月からの4ヶ月ちょっとだったのですが。 これだけの幅とは思えないぐらい、密度の濃い時間でした。
栃木SCでは、応援される実感をさして得られないままでいた船山さんが、 山雅サポーターの熱量にほだされていく過程は、見ている側にとっても幸福でした。 アウェー琉球戦で、得点するなりサポーターへ爆走したのには、本当に驚いたものです。 レンタル移籍したのは、RKUへ行ったからこその縁でしょうし、人生万事塞翁が馬だな、と改めて。
2012.1.16 wrote
|