Land of Riches
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2011年12月04日(日) |
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平日夜に何も出来ず、帰ったら寝るだけ(お風呂すら億劫に…)の日々が続くと、 週末にしわ寄せが全部来てしまい、加えて疲れで起きられもせず、 その代償としてこの土日は、都内で午後開始の試合だというのに連日の遅刻。 帰りに栄養ドリンク買ってきましたが、根本的にどうにかしなきゃ…と思います。 それが「思うばかり」なのが悲しいです。服も買いたいのに…!
本日は大学リーグ最終戦。西が丘ではなくて駒沢陸上開催。 インカレ1回戦が、鴻巣以外全て北関東(鴻巣も南関東とは正直呼びたくない)と こちらでも年々政治力というかなんというかの低落を感じさせるJUFA。 関東からのインカレ出場校4枠のうち、最終戦に可能性を残していたのは 早慶両校だったのですが、前節の直接対決に勝利した慶應が自力での可能性を持ち、 早稲田は第1試合での慶應の敗北を祈るしかない状態。他者の「不幸」を願いながら 観戦するのは、どうにも苦手で、最初から第1試合はパスするつもりでした…。 結果、第1試合の段階で慶應のインカレ出場が決定。第2試合は「消化試合」化したのでした。
つまり、早稲田はこの試合にて今年の公式戦終了。 山中主将の、大学サッカーラストゲーム…。
山中さんは、おそらく、ご贔屓さんカルテットの次に愛している選手、です。 プレーを見るだけで幸せになれる、のが定義の「ご贔屓さん」には属しません。 彼に対する感情は、レイソルユース卒業生の中でも、激しい起伏を経ています。
第一印象では…好感を抱けませんでした。ユースに昇格してきた彼は、 1年生にして、私が好きだったボランチの某選手からレギュラーを奪ってしまったのです。 (彼はその学年では当然のように主将を務める格の持ち主、と当時は知らなかったのです)
2年生の秋あたりから、レイソルユースは、今となっては「色」と認知されている 細かく繋ぐサッカーへの舵きりを敢行し、彼はベンチを温めることが増えました。 翌年、やはり主将となり…暮れを迎える頃には、過去からの流れを継ぐ 個人技主体の3年生と、洗練されたパスワークを誇る2年生とが並存する姿になりました。 それが、私(たち)を今のところ唯一、長居まで連れて行ってくれたチームです。
Shining Christmas―戦い終えた彼は、スタンドからの個人コールに反応しませんでした。 そんなことは、それまでの試合では決してなく…刻まれた落胆の濃さを感じさせました。 とぼとぼと引き揚げていく背中を見て、私は、彼を次のステージでも追いかけ倒そうと 心に決めたのです。そうして…紆余曲折の末、山中さんは私にも馴染みの深い 海老茶のユニフォームへ袖を通すことになったのでした。
早稲田大学は大榎さんが退任し、暗黒時代を迎えました。 それでも1年生の前期から試合に出たから…うーん、いろいろありました、4年間。 そして、大学でも主将になり―あそこの主将は荷が重いと知っているからこそ、 柿沼副将と頑張っている姿を前期は見ていて、首位ターンして…なんかまとまりませんね。
負傷に現在進行形で苦しみ、しかしチームの立ち位置は彼を(前節からの) ベンチ入りへと導き、結局…後半の最後の最後、ピッチに立つ時間をもらえました。 (その理由を自身で冷静に察しているところが切ない)
ラストゲームは、小井土さんのゴールで勝ち越し(その祝福シーンに山中さんが 参加できて良かったと心から思います)た早稲田が白星を手にしました。
山中さんのカーブかけたミドルが入っていれば、もっと幸せだったのに。やはり足が…。
次、いつ会えるか分からないから―最後、笑っていて、良かったと思いました。 勝てたから…4年前はそうじゃなかったから…だけど「みんなともっと サッカーしたかった」と吐露したのには、ぐっときてしまいました。 ピッチ外でのサポートもチームの一部なのだけれど、そんなこと私が言わなくても 彼は良く知っていると思うけど、「キャプテンだからこそピッチで引っ張りたかった」と。
もし来年も会える機会があったら、どこにでも行くと、告げました。それは心底本音。 山中さんが次の道を切り拓けるように、今はただ願い、祈るばかりであります。
…柿沼ゲームキャプテンは、山中さんの6番長袖ユニフォーム(2nd)を借りて、 アンダーシャツとして着ていました。荻野で、二人で先頭に立っていたのを思い出しました。
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