Land of Riches
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2010年12月16日(木) |
「人に言う」と書いて「信じる」 |
師走のせわしなさゆえ、売り言葉に買い言葉となった、職場での電話での攻防。 一度切ってかけ直した後は、ごく普通に会話できたと言うのに。 (人によって沸点突破ポイントが異なる…というのも、考えれば当たり前のこと)
オフィス中を驚かせる感情的な発声を繰り出した後、感じたのは…自分にも ガーガー言われて傷つくような、心の柔らかい部分が残っている、ということだった。
永遠を生きる守護者になどならなくとも、たった5年程度で人の心は磨耗する。 オフシーズン恒例の報道を見ての、おのれの上下動で、愕然としていたから。
自分が見ている世界は、どんどん狭くなっている。 閉じこもっている。固着していることを、快い、安全だと感じている。
Jユースカップ決勝トーナメント初戦、日立台への道で考えていたのは、 いろんな命が世界にあふれていて、それぞれが鮮やかに花咲き実を結んで生きているのに、 自分が生きている…価値があるか分からない生き物が、それでも生きていくために 多くの動物や植物の命を奪って排泄物へ変えてしまう食事に意味があるのか、なんてことだった。
極端な言い方をすれば、いつか死んでしまう生になど意義はあるのか、と。
生きていることは、それだけで絶対的に価値がある、とは考えられるようになっている。 生きていなければ見られない風景が、今年もたくさんあって。 ありがたさは分かっているのに。
1週間の猶予期間〔モラトリアム〕、今の私は、また違うことを考えている。 服〔ユニフォーム〕の色が変わろうが、魂の輝きは変わらない。 それも知っているくせに。
…胸に太陽の輝く黄黒の服が一番似合っていると、一番かっこいいと 確信してしまっている自分も、また確実に存在していて、その両立に苦しんでいるのだ。
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