Land of Riches
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日曜、たつのこでのカードがRKUと明治の対戦なのに、今更気づいた件について。 あのですね、まだ渡してないから、お祝い…(苦笑) とりあえず灰色タオマフは自粛しないと。
----- なんで?
なんで? なんで?
『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』 楽天イーグルスの野村監督が口にしていた言葉です(私が知ったのはスワローズ時代)。
RKUは今夜の神大戦、苦しみながらもロスタイムの劇的勝ち越しゴールで 2位・国士舘大との勝ち点差を広げることに成功しました。
前半は特に中盤が崩れてて(フクアリで見たレイソルU-18vsヴェルディユースが オーバーラップしました…)若いDFライン&大橋さんへかかる負荷が半端なく、 どうなることかと思ったのですが。運も味方にして凌いだのが勝因でしょうか。
…もし仮に負けていたとしたら、敗北の理由をいくつも拾えるゲームだと見ました。 勝利という結果(セミで言うと抜け殻みたいなものですね、いつまでも残る)を 手にしたからこそ、その結果に呼応しているとおぼしき要因を、記憶から探すのです。 そうやって、読む価値があるかも疑わしいような駄文を紡いでいく、と。
結局のところ、勝利は敗北よりも受け入れやすく、敗北を受け止めるためには 理由付けを人は求める…単なる自制機能としての野村格言なのだと悟りました。
なんで?
なんで? なんで?
怪我人が多い、ピッチコンディションが悪い―負けた試合においては、 悪条件はいくつも浮かぶし、妥当性にはあまり疑いの余地はないとも思うけれど、 じゃあ、勝ったチームには似たような制約は適用されてないのかと問えば、 即座に首を縦に振るのも難しいはずなのです。サッカーは、技術や戦術、 体力などの構成要素を磨くことで、原因と結果を近づけることはできるけれど、 究極的には、原因と結果がダイレクトには結びつかない、不確定要素が絡みやすいゆえに、 長い間、世界中の人々を魅了してきたとも感じるのです。ボールは丸いから、と。
大橋さんが試合後、涙をぬぐっていた時、まだ泣くのは早い、と思いました。 感情に左右されない、常に冷静な判断を…理性に基づいて下すのが理想。 私はそう考えている節があります。だけど、組み上げられた攻撃に導かれた 必然の結果としての得点や、逆の形での守備が…必ずしも魅力だとは感じません。
不安定要素。予測がつかないこと。途方もないアイデア。そんなものが好き。 冷酷たる現実と相似形のディフェンスを切り裂いていく、遊び心満点のドリブルが好き。
試合を見に行っても楽しくないと思うのは、結果をあまりに求めすぎるから。 結果こそが全てだという価値観に“毒されて”きているから。だって、それしか 最終的に、後々まで意味を成すものなど、ゲームには存在しない…それ以外の 全てのファクトは、時と共に流転し、消失し、かろうじて記憶にだけ残るもの。
どんな事象に対しても、動じない大人になりたいと願い続けて、近づいていて。 だけど、違うと、それはおかしいと、揺れ動くエナジーも必要だと、何かが叫ぶ。
正解はどこだ?
なんで?
なんで…?
18歳の時から悩んでいることに答えはまだ出ていないのです。一生出ないかも。 だけど…何かにつけ、悪い方へ、暗い方へ考えがちの私を家で待っていたのは、 予期せぬ贈り物でした。待てよ自分、今日、お前、人にどれだけの物をもらった?
贈り物は、贈られる側の人の「存在」を認知してこそ成立するイベントだ、ぞ…?
孤独と無力感。永遠の戦いかもしれません。だけど、下へ下へと 落ちていくばかりではない、客観的な位置を、私は見抜けてないのかもしれません。
楽しみは、一時の酔い。 それでも欲しいか?
最後に自分へ宿題。 「サッカーで最後に(プラスの意味で)感動したのはいつ?」
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