Land of Riches
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白と黒の2色しか世界を構成する“色”がないと信じ込んでいる人と付き合うのは 苦しいものです。最近すごい感じること、若者と大人は違う(苦笑) 思春期って、すごい甘酸っぱい響きのある言葉じゃないですか。 いや、自分(精神年齢)がどこに位置するかはさておき。
違う価値観〔ルール〕を持つ人だらけなのが社会だから。 そこを泳げるのが大人?
ここ最近、全てが想像を超えていて…一言で言えば、辛いです。 真っ向否定ですよ?
---------- 光の射す方へ。
菅沼さんを見に行ってきました。青い13番ユニ姿はお目にかかれなかったけれど、 ナショナルチームのジャージを着ているのは見られました。アップしているところ。
代表のウェアへ袖を通しているのを見るのは、U-18代表候補合宿(03年5月)で、 よりによって大熊監督にボランチをやらされた時@小平、以来?
4年間―それはレイソルユース(U-18)と向き合ってきた時間の長さ、でもあります。 レイソルU-18も、04年12月から大きく意味(観点?)を変えてしまうことになるのですが…。 最初はただ、見ていて、楽しかった。ただ、それだけ。
仕事があまりに殺人的で(今日も配られた書類の半分弱は手をつけられず職場脱出。 おまけに同僚に「もう限界。辞めるかも」と相談される始末)なかなかスケジュールの 調整がつけられなくなり、お陰様で誘いにくい奴に成り果ててしまった私。 今日は…菅沼さん出番なかったから、余計に、人と会うために行ったような格好でした。
今は、レイソル…レイソルU-18中心。昔の私とは軸が違います。 私が変わってしまったように、他人も変わって…おかしくないのに、どうも受け入れられず。
菅沼さんがきっかけで過ごせた4年間、その4年間を振り返って、やっと“還ってきた”ような 懐かしくフレッシュな心地になれたのも間違いないのですが、それ以上に、 自分は、その4年間の前にも、サッカーを観ていた時間があるのだ、と再確認もさせられました。
ソラミナがあって、その前にはBlueguys-MLもあります。もっと前(ちぃチャ?)も。 つまり、サッカーを通していろんな人と出会い…そして、別れてきた、と。
趣味友達は、趣味ゆえの多彩な幅があるけれど、接点が趣味のみなのも事実。 先程も書いた通り、人の好みは移ろいゆくし、それでなくても、友情を維持するのは 容易ではないものです。疎遠になったり、喧嘩をしてしまったり、気まずくなったり。
全ての人と仲良くなり、全ての人に好かれる。 そんなのは無理。 だけど、私は、いまだ、それを目指そうとする指向性を捨てられずにいる。
今でも声をかけてもらえること、あるいはネット上でコメントやメールをいただけること、 とても嬉しいです。どんな人とだって…反面教師的な意味を含む場合もあるけれども、 一つ一つの出会いがあって、得るものがあっての、今の自分ですから。
もう若くはありません。今でも時には暴走しますが、昔に比べたら、 その規模も頻度も弱くなりました。それは、それだけの時間を重ねてしまったから。 かといって、全てを悟れるほど知恵も経験もありません。
今の私は、他のいつの私とも違う、今だけの私。
理想と現実の乖離、人と人との(特に知人と知人の?)摩擦、非人間的な社会構造。 私を苦しめ、傷つけるものはたくさんあります。でも生きていかなきゃいけません。
今はただ。 次こそは、青い菅沼さんのプレーを見られるように。 お金を稼いで。 試合の日ぐらいは帰れるように、きっちり働くことぐらいしか。
人に頑張れと言えるほど頑張ってるか? いつも自問自答してます。
応援する選手に対し、お金(カテゴリー1…)も時間(席の場所を吟味!)も、 何より熱い気持ちを注ぎ込んだ人がいて―選手は、晴れ舞台で、それへ存分に応えて。 実は、帰宅して、最初にチェックしました。喜びの声が記されたmoblog。
長友さんの活躍、嬉しかったですよ。船山さんの前へ立ちふさがった選手だから、 Jの選手よりも身近に感じているのもありますし…それよりも何よりも。
想いに応える―羨ましいし、それが、一番の、喜び、なんです、私には、試合において。
「今の見ました?」 00年8月13日のぶつぶつ日記に書いてありました(私信<調べたのかよ!) 応援している選手の活躍を誇らしげに語れる、それ、ずっと憧れでした。 いや、それ、実現してくれた選手、私にもいるんですけどね。彼ですよ、黄黒の27番。 03年の全クラで。笑。
▽G大阪練習に流通経大MF武井が参加(大阪ニッカン)
日曜、仙台へ行ったかと思えば、火曜には大阪ですか。ボールを取りに行くところ…(微笑)
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