Land of Riches


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 2005年10月03日(月)   人に喜んでもらうこと、の難易度 

今日は診察の日。ひっきりなしに患者が待合室へ来て、受付のお姉さんは
電話での初診申し込みを断るのに必死(私もそうだけど、精神科って患者が
そう簡単には“卒業”できないから、再診がめちゃめちゃ多いというか長いわけ。
すると、時間的制約で初診をねじ込める枠が狭くなり、今では週はじめの朝10時に
幸運にも電話がつながった人だけが取れるかどうかという、チケット取りのような
状態らしいです。どうやら世の中は精神科の需要と供給が全く釣りあってないらしい)。

毎度毎度、予約を一番最後の枠にしてもらいながら守った試しがない私なので、
待ち時間が長いのは了解の上(この予約を蔑ろにする行為、一応先生公認)。
精密機器は置いてないため、待合室で携帯をいじっても怒られないのですが…。

本日は今迄で一番足を踏み入れて驚いた光景が待っていました。ゆったりとした
ソファには社会における主力的年齢の男性と、その両親と、嫁さんが並んで
座っていました。で、父親は高圧的に、母親はネチネチと“心を病んでいる人には
言ってはいけないとされている言葉”を容赦なく投げ続け、嫁だけが「自分の
できることをやれば…」と鞭に対する飴的な発言をするという、これは鬱病の
モデルケースの収録ですか?―ってやり取り。いろんな意味で圧倒されました。

自分も心を病んでる人間だから、とりあえずもっと心を病んでいる人だって
来るかもしれないから黙れ、とその親父を睨みました。待合室の一番遠くから(おいおい)
男性もいちいち言い返していて、その神経質な反論振りから、すごい病みそうな
タイプだと知れるのですが、案の定視線に気づいたのも彼。他の患者さんの
迷惑だから、と言うと黙る父親。分かりやすいなぁ、世間的メンツが全てなんだろうね。

#そういえば通い始めた頃は、よくナラさんの…そうそうGROOVE FROM K-WESTを
#聞いた覚えがあるのに、最近はクラシックだかジャズだかがかかっていた記憶があって
#今日に至っては無音でした。やっぱり耳障りなんだね、心を病んでる人には。

なんでそんな大挙してやってきてたかというと、どうやら休職するらしくて、
その書類を作成するためらしいんですが…いやはや、私、こんなのが家族、
つまり一番身近にいる人間だったら、家出するか発狂するか刺すか殴るか
自殺するぞ、って結構しゃれにならない思いを抱きました。まるでその男性が
父親の形をした100kgのおもり、母親の形をした針のむしろetc.に囲まれて
暮らしているようで、気の毒で気の毒で。というか、仮にも精神科の待合室へ
来てるぐらいなんだから、心を病んだ人に言っちゃいけない言葉とか、
とっちゃいけない態度とかっていう最低限の「知識」持ってないのかって思いました。

なるべくして心を病んだ、って感じの…数分見ただけの一家の診察時間は
予想通り長くて、その後も待って診察室へ入った私は、上に書いたことを
全部先生に喋りました。まあ、ぶっちゃけてしまえば、そうやって他人のことを
(それも全くの赤の他人)心配する余裕があるのは、自分自身が生きているだけで
必死だった頃よりも回復している証拠みたいなもんです。ただ薬は欠かせない(苦笑)

土・日で直面したのは、レイソルのトップやユースのサッカーがどうこうじゃなくて、
加齢直後だからか、一段と説教モードに磨きがかかっている自分(本田泰人主将か
お前は…)と、自分の若い頃にそっくりな人と、自分が若い頃に思っていたことばかり。

大嫌いなもの、嘘とタバコとお節介。それは変わってないつもり。だけど。

人の魂は転生を繰り返すなんて信じられないぐらい、いつの時代も人間は
同じようなことをしてて、ジェネレーションギャップが生まれ、亀の甲より
年の功なんて言葉はプラスの意味とマイナスの意味を持ちます。経験によって
物事に対する対応策を戸惑わずに編み出せるのは分別という能力で、でもそれは
新鮮さを人から奪っていく菌でもあります。もっと本能的に近いのは、慣れ。

人間の精神年齢と肉体年齢が比例しないのは、ネットデビューして、同年代としか
接触しないことの多い学生の日常という枠をはみ出したお付き合いをした当初に
学んだこと。最近、このLRもネット歴が浅い人に対する愚痴が多くて、我ながら
嫌な奴だな、と自覚はしているのですが、何より、自分が若く無知で大暴れしていた、
今、アルバムを切り取って別の人間として具現化して目の前に突きつけられている
心地のする“もの”、それに対して実際に自分がとっている対応がすごく歯がゆいです。

あの頃私の周りにいた皆さんはずっと大人だった。立派な人だけじゃなくて
叩かれたりもあったけど、そういう人も反面教師にしてきたつもり。そうすれば
「吾以外皆吾師」(吉川英治氏の座右の銘と記憶)として魂は磨けてこれたはず。

めるはば姉さん、jujuさん、Yanaさん、おやかたさんと周りの皆様。
皆さんがいらっしゃったから、私はネットがどんな場所か学ぶことができました。
そしてもう一つ、集まった経緯からは信じられないぐらいグレードの高い集団だった
フラット9と、フラット9を支えてくださった皆様。本当にありがとうございました。

掲示板やチャットは多くの人が集う場所で、ネチケットは必然的に求められるけど、
今の主力であるblogは一つ一つがbloggerの城であり、トラックバック一つとっても
共通見解などなくて、自blogのルールを掲げておかなくちゃいけないのです。

そんな1対1を日々ネット上で展開するbloggerが一度に集うというのは、考えれば
ただのオフ会よりも“難易度が高い”わけです。オフラインで会ったとしても、
実年齢やファン歴の長さ、あるいはヒット数などは関係なく、bloggerはみんな
対等の存在だとは思いますが、でも人間性は当たり前ですが人それぞれで。

会ってみなければ分からないこともたくさんある(そりゃbloggerさんだって
自分の思いを100%表現しきれてはいないだろうよ。意図的に抑えもするだろうし)し、
会っても、会った後さえも分からないことだっていくらでもあります。

何のためにサッカーを観て、サッカー系のblogを更新するか。
いや、そもそもそんな崇高な?目的は必要なのか。

自分のため。自分が忘れないため。それもそう。でも誰かに読んでもらって
感想とかもらえたら嬉しい。自分が好きなものに興味を持ってもらうのは
自分の目を褒められたことでもあるから(ラ・ロシュフコー的解釈)最高。

誰だって自分が正しいと思ってるはずなんです。たとえ悪の道を選ぶにしても、
悪の道を選ぶだけの理由を正しいと思って選ぶはず。さっき書いた両親や嫁だって
本当は男性のことを思って言っているのは分かるんです。嫁の言葉なんか
ものすごく優しい単語ばかりですし。でも、とてもそうは聞こえないのです。

言葉は思うように受け取ってもらえるとは限らない。いや、どんな行為でも。

それは選手相手でも言えることです。選手のためを思って何かをあげる、
試合を見てて感じたことを言ってみる(別に私はそれに対して、強い反発心を
あらわにして応じてきたK選手のことを悪く思ってはいないし、むしろそれは
彼らしい態度だと思いましたさ。でも、自分でもプレーから人間性をも感じてほしいと
インタビューで述べていた彼だからこそ、本当は気持ちを表してほしいのさ…)、
それは本当に選手のためになっているのか、うざったい、行為の押し付けに
なってはいないだろうか? 確かに人間のモチベーションは最初から最後まで
自己満足という一言でくくれてしまうけれど。どんな行為の根っこにも、それがある。

こんなに応援してるんだから勝て、とか。

サハラカップで展開しているの黄色くなろうキャンペーンは、私がクラセン2次の
川崎戦@しんよこの土手で感じた、絶望にも近いカルチャーショック(日本で
一番アウェーを味わえるのは駒場の出島のような気がするけど、あいにく
過去数回の駒場観戦歴ではみなバクスタでレッズサポに囲まれて息を潜めるように…)と
8月の成田中台での歓喜、何より去年のJユースカップで某くんからもらってしまったと
私が勝手に思っている「宿題」、それに対する今時点での回答のつもりです。

チームとしては、那須の落日―9決での涙の方がインパクト強いし、私も絶対に
あの悔しさを忘れはしないけど、自分自身のユースに対する見方を変えたのは
明らかにあの土手で覚えた無力感です。少なくともあの日まで黄色くならなきゃって
感覚は持ったことなかったし、だからグラウンドレベルで選手と同じ色の服を
着ないで下さいと言われたわけです。あの日のエントリを今日読み返したのですが。

みんなが最後にこちらへ挨拶に来てくれたこと、嬉しかった、すごい嬉しかったけど、
私が普段してることってなんだろうって考え込まずにもいられなかった。

いつも思ってる、ユースの試合を見に来てくれる人が増えるといいなって。
今回は、確かにアウェーだったけど、ホームだって…昨秋の横河戦じゃ
“あんなの”だった。それがレイソルではサテライトやユースを見る礼儀として
暗黙の了解風味に定着しているけれど、だけど、だけど。

勝った、負けた、いいプレーが見られた、ミスなんか目撃しちゃった…そうやって
私一人の心で閉じた世界なら、blogへ長々と叩きつける必要もない、
私はなんで書いてるんだ?

すごい無力だ。力になってあげられるかもしれない方法の切れ端ぐらいは見た気がしたから。
大体、フロンターレのオフィシャルがトップで告知したり、
コアサポが繰り出してきたりしたのは、試合を盛り上げたいと動いた人がいるから。


人はいっぱいいましたが、黄色いのは数えるほどしか・・・。
(まだまだ、宣伝が足りないみたいですよ?部長さん、平さん)
(あかりんご)

なんか、まだまだだな〜と思ってしまいました・・・(黄色いモノの集客力)(プレジャー通信)

自分は上を目指している、これでもそのつもりなのに、実際は全然なんだよね、と
無力さに相変わらず苛まれながら、でもまずは自分が満足しないと、とそもそも
自分の観戦態度にいらだったりしながら、夏の大会ほど気楽にはとても見られない
冬の大会であるサハラカップは続いていくんだな、って思ってます。

間違いなく言える、私には覚悟が、そして決意が足りない。何よりも思いやりが。

優しさが。
愛しい人は、優しくしてもらったと感じても優しくすることはできないと言ってたけど。


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