Land of Riches
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2005年05月06日(金) |
ツルマキケントという男 |
最初にセルフツッコミしておくか―なんでこんなタイトルなんだよ!(自爆) さて問題。今日は何の日でしょう?
岐阜駅の高架下にある市立図書館の分館で蔵書をぱちぱちと検索すると、古い新聞は 本館のみが所蔵とのこと。雨の中、作ってみたはいいが、高すぎて全く役に立たない アーケードの下を傘さして市役所方向まで歩いていき、本館の前までたどり着くと 入り口ドアには無情な貼り紙。ちょうど入り口へ車を寄せてきたオジサンが「今日休み?」と 問いかけてきたので、怒りをぶつけるかのごとく(勝手だ)「休みです!」と叫ぶと、 再び強い雨の中を逆方向へ。いつのまにか民間へ完全委譲されたらしい旧・市営バスの 路線に乗って、私は県立図書館へ向かったのでした。県立図書館の2F、ここ5年分だけが 一般閲覧室に“原紙を綴じたもの”という形で置いてあり、何年前のが必要なのか ちょっと分からなくなっていた私は、無造作に一番古い平成14年=2000年“9月”と 背に記されたものを取り出して、ひたすら「日曜日」を探しました。いました。
丹羽竜平―トリコロールをまとって。
へぇぇ、と思いながら翌日分をめくると、そこには、時が凍りついたかのように 今…違う、記憶の中にあるのとたがいなきシュートモーションのカラー(!)写真が 載っていたのでした。今、彼は黄黒のユニすら着てない…今は、赤と黒。
「MVPに輝いた菅沼実選手」
今どうしているのかな、と軽い切なさに襲われながらも、その2年後…平成16年の やはり9月を取り出して、「日曜日」を探すと、そこには「弦巻健人」と「安田理大」が いたのでした、予想に反して。はぁぁ、とちょっぴり脱力しながら翌日付を見ると、 そこには今とはかなり違う顔をした中台くんや、腕章を巻いた福地くんがいたのでした。 もう1枚、“地元・名古屋FCから選抜された小沢竜己”というキャプションの写真へ 一緒に写っている博多人形のような顔をしたEASTの少年は、多分“彼”だと思いました。
で、結局。 (なんだ、船山くん載ってないのか…)
はい、今日は船山貴之サマの18回目のお誕生日でございます。おめでとう! せっかく帰ってきてるんだから、と思って、毎年、メニコンカップ当日になると 東西から各1選手が大々的に取り上げられるプレビューが載る中日新聞を漁ってきたんです。 船山くんじゃないかと思って。大ハズレでした(笑) 柏市立図書館へ読売新聞の全少記事を 漁りに行った時と全く同じ感想ですよ、「弦巻くんか!」って。私は、初めて 弦巻くんを認識したのが(彼が代表の一員として出た)豊田国際のダイジェスト番組ですが、 それは“案の定”遅いということを、改めて思い知らされた心地がしました。
メニコンの記事は、当日の白黒プレビューと、翌日のカラー記事(どちらも、たかが 中学生クラブユースのオールスターとは思えぬサイズ。ほぼ半面)のコンボで、 毎年毎年繰り返されてるんですが、いっつも…初めて見に行った家長&山本拓コンビの代 (ちょうど菅沼さんの年と中台くんの年の間ですね)以来、毎回毎回、いつか これを見に行かなかったことを後悔する日が来るんだろうなぁ、と思いながら 行かなくて(苦笑)結局、こうやって後から発掘してくるんですよね。間違いなく 今日コピーしてきた記事もリアルタイムで見ているはずなんですが(笑) ちなみに、 2003年のは小谷野くん@鹿がMVPで、この記事は写メで送り付けたなぁ、と思い出してました。
昨日付で書いた「マンイーター」というのは、FFに出てくるナイフのことなんですが、 船山くんは短刀というよりは小太刀みたいなプレースタイルだと勝手に思ってます。 ナイフでもソードでもない、独特の間合い。何より、相手の攻撃さえ軽く受け流せる代物。 このイメージからして、私の中の典型的な像は「相手を背負ってキープ」なんだと 再確認させられます。ちなみに柳澤くんはレンジ的に槍です。槍使いさん。
近頃のレイソルトップは英雄×勇者×救世主、なんでもいいから降りてこい的な ムードがサポの間でさえ漂っていますが、もし救い手が玉田さんなら英雄、 チュンソンなら勇者、宇野沢さんなら「やっぱり」救世主と呼ぶのかな、と思ったり。
いや、不安さえ委ねられてもかき消してしまうほどのカリスマを求められているのは、 人の上に立つ指揮官の方だと私は思ってますが。信じるのに理由が必要ならば、 それは真なるカリスマとは呼び難いわけです。信じられなくなるのは簡単ですけど。
----- 昼食後、地元紙朝刊をめくってみるとメニコンカップの特集が。 東西から一人ずつバーンと紹介されていたんですが、さすがに誰も知らなかったです(笑) (LR過去ログ2002/9/8)
やばい、この文字を読み返すだけで笑いが止まらなくなる…おなか痛いよ〜(自爆) 2002年9月は、私がレイソルに興味を持たざるを得なくなるターニングポイント、 そう、永田さんのトップデビューがあった月です(当時のLRは、監督が代わったばかりの ユース代表=大熊ジャパン初代の動向が話題の中心) この約半年後、レイソル系某所へ ネタを提供したいが一心で―メインターゲットは中井さんで―ほいほい出かけて行った サテライト@トヨスポ+ヤマスタで、私はその名も知らぬ中学生の一人・Yくんの パス出しに目を留めてしまうのですが…古新聞漁りは今までもよくやってきた、 それは自分が“知らなかった”ことを知るため、後付けで埋めるための手段ですが、 メニコンは、上にある通り、決して“知らなかった”わけじゃないんですよ。 それがどうしようもなく可笑しいですね。私もそのうちアイビーとか全少とかへ 行っちゃう人間になっちゃうのかなぁ、と思うと、いい加減にしとけ自分、と 苦笑いせずにいられないのです。いや、本当、キリがないですからっ!(爆)
しかし、考えてみると、プレビューの時点で12番を与えられている=先発じゃない 選手なんかお呼びじゃないのよ!ってわけです(笑) 弦巻くんのプレビューには、 それでも「船山ら」と表現が2回も出てくるんですけど! で、ふと思い立って、 ビデオテープの山をつっついてみたら、出てきました、豊田国際!(ニヤリ)
特に予備知識も持たず、ぼんやりと観てましたけど、プレーも顔(!)もいいな、と 気に入った14番がMVPの弦巻くんだったのにはビックリしました。いやはや。 (LR過去ログ2003/8/11)
決勝のカードは、U-16代表vsグランパス「ら」。代表のメンバーを一通り見て、 この時は柳澤くんが北海道国際に選ばれてて、入れ替えろとわめいていたのを (当時の私はレイソルユースでも菅沼“くん”と柳澤くんしか興味がなかった) 思い出しました。で、ざざっと見て、やっぱり弦巻くんが目に留まるのはしょうがないと、 菅沼さんばりのヘッジホッグヘアで白の8番(!)を着る船山くんが記憶に残らないのも 仕方ないと…だって映らないんだもん!(泣<ギャルっぽく) あとは財津“くん”と 代表じゃないけど…この1年後、代表のキャプテンとしてはっきりと認識することになる グランの青山くんが印象に残りました。なんでも録っておくべきですね、と改めて。
このテープ、一緒に入っているのがアジアユース@大熊ジャパン初代の決勝・韓国戦と 81回選手権の東福岡vs岐阜工という訳の分からなさですが…古雑誌を見返すうちに、 アルゼンチン大会後から急激に雑誌の購入ペースが落ちていて、それがある程度 回復するのは前述の“ターニングポイント”後なのに気づかされました。
何もかもが偶然で、何もかもが必然なのか、と思いました。だって、祖母は洗濯物に 紛れていた祐三プロコンの黄色を見て、赤(と青)じゃないウェアがある理由が 分からなかったらしいですもん。うちの家族は誰も引っ越した理由知りませんけど。
結局、どの瞬間も「今」を生きるしかないわけで、それを、たとえばこのLRの 過去ログ漁りによって矛盾を悟ったとしても、その瞬間瞬間の自分にとっては “それ”が一番大事なことだったわけで。これからもそうやって生きていくしかないのかな…。
----- mixiが閉じた輪なら、楽天やエキブロ、アメブロは半分閉じた輪でしょうか? SNSについて考え出すと、とどのつまりは「何故ネット上で活動するのか?」に 集約されてしまいます。まあ、メールの即削除も程々にしようよ自分、ってところですか。
学生の頃、月に5万円以上電話代に費やしていたなんて、今となっては信じられないですよ。
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