Land of Riches


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 2004年10月14日(木)   Everybody desires happiness. [改題] 

何はともあれ一次予選が突破できてよかったです。
メッセでお付き合いしてくれた皆様に感謝。
あと階下から聞こえてきたゴール時の「うぉっ」に、かなり感激。

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やったな!―そう言って満面の笑みで抱きつくキミを見た。笑顔がもたらした感情は、不安。

なんとなく見たスケジュール表に、レイソルユースの練習試合予定が入っていたので、
麻生の試合を見に行けずたまっていたユースの試合への飢餓的欲求もあって、
まずはトップ練習のメンバーを確認すべく日立台へ。ちょうど紅白戦が終わる頃でした。
いろんな選手の声(特に聡太さん…いつもか)が聞こえてきたけれど、永田さんのは
聞こえてこなかったような…どうにかレギュラー組とおぼしき11人を確認できたあたりで終了。
居残りする選手もほとんどおらず(大野さんが少しいたぐらい?)みんなすぐ上がります。

たまたまSさんとお会いしたので、どんな感じだったかを教えていただきました。
昨日、宇野沢さんのハットトリックを見られなかったのは今となっては結構残念ですが
今日は貴章さんがレギュラー組相手にゴールした模様。またまた悔しさがほんのり。

ユースの選手がいなかったことも聞き、またまたチーズ+マヨネーズのたこ焼きを
買ってから日立台へ戻りました。お店の方が私がレイソル好きなことを覚えていてくれて、
レッズ戦の話や、柏の治安の悪さ(…)を話題に盛り上がりました。たった一つ、
言い出せなかったのは、私が通常、日立台へ行く時はレイソルロードを通らないこと…。

空腹に任せて人工芝すぐ横のベンチでたこ焼きを食べ始めた私に向けられたのは、
スーパーエリートたるジュニア選手@練習中の視線。いや視線だけでなく、声も。
「たこ焼きだ!」「すげえニオイする!」
ごめんなさいごめんなさいと心の中で謝り倒してました。トヨスポへ通い始めた頃、
まだ純真だった(…)私は、選手の目に映る範囲では何かを食べないように
心がけていたのをふっと思い出して、正直泣きたいぐらいの気持ちでさえありました。
(サッカー場のバック側入口のトイレのあたりにあるベンチで食べればよかったんだよ自分)

お詫びを兼ねて(自己満足な謝り方ですが)4対4だったか5対5だったか、
ジュニア選手の練習を、すごい真剣に拝見させていただきました。
トップ選手の、たとえば永田さんのモーションだってこんな細かく見ないぞってくらい(苦笑)

たこ焼きのニオイには、しごく歳相応の反応をする少年達でしたが、ボール扱いは
絶品でして…と言いますか、ゴールデンエイジにきちんとした技術を身につけないと
大人になってもヘタなままと言われるのが分かったような気さえします。

キープする足さばきは大人(トップ選手)とそんな変わらないんですよ。
ただ、狭いエリアでの攻防なのもあるでしょうが、パスの軌跡(視野の広さ)の
意外性に唸ることは少なかったです。なんて言えばいいのか、むしろ好んで
相手への勝負を仕掛け、何か(それは足さばきだったりスピードだったり
結局は力だったり)に任せてぶち抜くんです。守備に関しても、自分が寄せる頃合の
見切りというか判断は小学生とは思えません。すすって複数で寄せていって。
でも、「手じゃなくて体で行け!」なんて言われてましたね。腕の力はしれてますから。

とにかく、うまいと感嘆しきりでした。何度も書いてますが、レイソルのジュニアは
厳しいセレクションを突破した精鋭揃い。この中から、きっと将来、柳澤くんや
船山くんのような素敵なテクニシャンが現れて、トップチームに混じって……。

練習試合を控えたU-18の面々は、横のスペースでアップしていました。
名前を大声で呼ぶメニューがあったらしく、聞こえてくる固有名詞だけで
出場メンバーがおおよそ把握できた私は、ようやくレイソルユースを見ていると
人に言える身になってきたかな、となんだか嬉しくなりました(でも顔は(以下略))

中央で整列し、相手キャプテンと握手する遠藤くん、あるいは左サイドを
駆け上がっていつも通りのきれいな弧を描くクロスを入れる遠藤くん、そして
右CKを直接サイドネットへ入れてしまう遠藤くんを見て、できるだけ長く
3年生がプレーしているのを見たいなあ、と思いました。ユースってそうなんだって。
高校と同じで、代替わりがあって…柳澤くんとは1年の時に出会えてよかったのかなって。

−−−やま−−−−−−−たなか−−−
−−たかゆき−−−−−−−やなぎ−−
−−−ふくち−−−−−−−みや−−−
−えんちゃん−しま−まさし−いしだ−
−−−【ゴメン名前分からない】−−−






たこ焼き屋の方には、趣味がないから、何かに夢中になれるなんて羨ましいと
言われました。でも他人事ですよサッカーは、と私は例によって答えました。
違うクラブを応援する恋人がいた頃、何度となく、(自分たちじゃなくて)
サッカーが原因でケンカして、他人事でケンカするなんてバカみたいと
よく言われて…ケンカが終わった後、彼に。プレーするのは選手、それは他人。

プロフェッショナルフットボーラーという生き方を選んで、実行しているのは“彼”。
私は“彼”にとっては赤の他人。別に彼にとって私は必要でも何でもない。
逆も…言えなくはない。でも、なんでか、私は…明るいとはいえない照明の下で
ボールを“もてあそぶ”―船山くんと柳澤くんの突破の違いは強引でさえある
選択があるかないかかもしれない―船山くんの、その姿を見ているだけで
幸せになれる。柳澤くんもそう。遠藤くんも。勝手な感情移入、他人事だけど、
他人事で幸せになれるって、それもまた一つのシアワセの形だなって思いました。

それは、見られないようにならないと忘れがちなこと…見たい見たいと
渇きを訴える自分は、日立台へ行くのに臆病になりかけな自分を励ますのです。

シアワセって何?―玉田さんは「情熱大陸」で、代表のエースでありたいか、と問われ、
寄せられる信頼を示す称号としてのエースとして、それを欲しました。
信頼されたいから―必要とされ、期待される。レイソルが玉田さんへ過度なくらい
依存している現状も、玉田さんにとってはただ努力を続けていた過去よりは
充実しているもののはず。A契約出場規定時間に達しなかった間の心境を尋ねられ、
長い沈黙の末に「でも俺努力しましたよ」と切り出した、その言葉が私には痛いです。











集団自殺のニュースがありましたが、その道を選んだ人たちは就職や進学に
悩んでいたと伝えられています。すごく分かります。私も、新卒として就職できず
帰郷を余儀なくされてから、とりあえず広告制作のアルバイトを始めるまでの
1ヶ月は、ベッドで天井を眺めるたびに自殺したいと思いました。でも私は、
その前に、初めて“実感”した肉親の死から派生した死に対する本能的な恐怖
(とそれに起因する鬱)からも結局は逃れられずにいたために、死は選べず、
だらだらと生き続けました。そして、一念発起して子供の頃からなりたかった職業に
なったものの、今度はそこで挫折して―この国は、一度ドロップアウトした人間が
もうダメだと思い易い風土です。それはサッカーでも後藤さん&大住さんの本で
布先生とウバガイさん(漢字忘れた…ジェフの方)が指摘されていました。

さらに紆余曲折を経て、柏に引っ越して数ヶ月、とりあえずの欲望を満たし、
“次”を見つけられなかった自分は、相変わらず死は怖くても、生からの
逃避欲求が強くなり、常磐線ホームでひたちが通過する風に吹かれるたび、
そこに衝動的に身を投げてしまうのではないかという恐怖に苛まれることになりました。

昔、中央線が人身事故で止まるたびに腹を立てていた、でも今となっては
そこで飛び込んでしまう人の心理さえ理解できる…ほんのちょっと逃げ出したくなる、
そのほんのちょっとのラインで超えたら死んでしまう場所って、結構いっぱいある。

5月には、その恐ろしさで医者に駆け込んだこともあり…そんな頃に、ウマーリノスさんの
訃報を…その追悼で作られたFLASHと出会い、生きたくでも生きられなかった人がいる、と
自分に言い聞かせて、今の私がいます。生からも死からも逃げてウロウロしている私。

私は、自分が「したいこと」をするために…違う、欲求を充たすために何をしている?
努力だなんてたいそうなものじゃなくてもいい、単純に言えば、空腹を充たす、
たこ焼きを買うにも代価のお金がいる、それを稼がなきゃいけなかったりする。
そういう発想―それで生きていって、また精神的に充たされなくなったら、
今度はまた違う努力をしなきゃいけない。サッカーを見たかったら、以下同じ。

見たくても見れない。それは不幸だ。いろんな意味で。また、ほんの刹那の
充足のために、その後の人生を犠牲にするのも、よくよく見たらばかげてる。
分かりにくいけど。経験を積んだゆえの強さもあれば、経験がないゆえの強さもある。

人は…違う、私は独りでは生きていけず、独りで生きていかなければならない。
人は…違う、私はいつか死ぬ。死ぬまでは生きている。いやおうなく。

私が。他の誰でもなく。

でも、この世界にはたくさんの人が…たくさんの私じゃない“私”(僕・俺など)がいる。

私がおいしいと思う食べ物を作ってくれる人も、
私が読んでて面白いと感じる読み物を書いてくれる人も、
私が見て唸るプレーを見せてくれるサッカー選手も、
私じゃない。

私が知り合った誰か。

その人は、その人の人生を生きている。私の人生を背負ってはくれない。
私も、たまに人の人生を背負ってあげたくなるぐらい入れ込むこともあるけど、
それはできない。励ますぐらいしか…その言葉に意味があるのかどうか。

幸せになりたいと思う。私が好意を抱く人が幸せであってほしいと願う。
その幸せは、私や、その人が思い描く最高の幸せとは少し遠いかもしれない。
でも。

必要とされる。信頼される。

不調でも。

お構いなしに…きっと、それはシアワセなこと。

自分がどんな生き方をしたらいいのか分からないくせに、人のそれになんか
口を出す資格はないのだろうけれど…でも、いつもいつも祈ってる。願ってる。

キミニサチアレ。


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