Land of Riches


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 2004年07月14日(水)   白タオル 

#マイスリー飲んでしまったので、とにかく意識がなくなるまで書きます。
#途中でぶつっと切れていたら、そのせいだと思って下さい。最初に断り書き。

玉田さんは青いユニフォームを脱ぎ捨てて汗をぬぐってましたけど、20時キックオフ
(昔からキリンカップの試合開始は日テレの都合だけで決められてきたとはいえ)では
やはり冷えてきて、汗かきの私が滝のように水分を流していたのは…おのれの禁酒が
恨めしかったのは最初だけでした。あまりに緩やかな時間は、全ての感覚を奪って。

少し前の五輪代表には、緩急の「急」しかなかったけれど、フル代表には
「緩」しかない…正確には「緩々」と「緩」とでも言うべきでしょうか。
一人当たりがボールを持ち時間が長い…球離れが遅い(玉田さんのそれが
かなり早く見えた)…それだけ技を見せる時間も増える、のかもしれないですが。
ブラジル風と呼ぶのは暴論かもしれませんけど、なんとなくそんなことを思ってました。
なにせ、時計が全く進まないのです。デジタル表示に秒がなくなっているのは
いつからの仕様なのでしょうか。とにかく、初めて見る“青い玉田さん”を
こんなに“長い時間”見てしまっても良いのだろうか、と感じる程でした。

フル代表を前に見たのは2001年のコンフェデ準決勝、それもフル代表見たさではなく
西村ジャパンの面々がそれを見に行くから、という理由だったはず。もう、自発的に
フル代表を見に行くのはいつ以来なのか、私は思い出せなくなってしまっているのです。
(フランス以降はアンダー代表、特にシドニー世代をやたら見てきたような)

TV中継でも、意識を集中させ続けるのが難しいカテゴリ、なのに、私は仕事中から
行くかどうかずっと迷っていて…青い玉田さんを生で見るべきかどうか悩んで
(フル代表や五輪代表の試合は、TV中継があることが逆に足を遠ざけてます)
終電を検索したり、それを出力した紙を一度は処分(!)したり、ぐちゃぐちゃしてました。

明日は仕事に余裕があるらしい、そう知って、私は電車を乗り継ぎ、今となっては
辛い記憶しか思い起こせない横浜線も使って移動し、チケット売り場の前へ行きました。

当日券、下からカテゴリー4のところまではマジックで消されている―だから、
一番安いのは\6,000のカテゴリー3。0.01秒の躊躇の後、私は、胸の内でこう呟いて、
ATMでおろしてきたばかりの札束を差し出しました。「ここまで来て帰れるか」

もともと、それは、青い20番のシャツを買うために用意したお金でした。
急に観戦を決めたから、何もグッズを持っていなかった―でも、今までに
青くならずに代表戦を見たことがないから、普通の格好でいるのが落ち着かなくて。
20番 "TAMADA" シャツは売ってなかったように見えたし、実際、それを着ている人の
背中へ入っているのは TAKAHARA だったり OKUBO だったりしたのですが、
隣の席に座っていた少年はきちんとしたレプリカに TAMADA 20 と入れてました。

FW不足の代表ですから、玉田さんは先発。でも、そういう情報すらも全くノーチェック、
自信が持てぬまま行きました。アップ風景を見て、先発だと確信しても、
私は完全に乗り遅れていました。なにせ、スタメン発表で沸き起こった歓声、
もうそれからして、想像をはるかに超えていた―玉田さんがDFをドリブルで抜くたびに、
そしてフリーでシュートを止められたりすると、すごいスタンドが沸くのです。

ファンの期待は大きかったみたいですが(中野太陽会)

代表戦だから…みんながTVで(録画などで)チェックできるゲームなので、
誰かに様子を伝えなければという重荷を全く感じなくて済む、だから、
好き勝手に…久々に黄色い(え?)絶叫でもしようかと思ってたんですよ。
「たまだぁ〜!」って。でも、結局、一度も言えませんでした。なぜって、
言う必要がなかったから。周りの方が大騒ぎなんです。玉田だタマちゃんだって。

フィニッシュだけでなくチャンスメイクもする、あるいは判定に不服を示す意で
ピッチへ足を叩きつける、イージーなマイボールロストが多かったから必然とはいえ
結果を残せぬまま交代させられた悔しさでボトルを力任せに投げつける、
ほとんどのモーションは“見慣れた”いつもの玉田さんでした。そう、今では
その“いつも見ている(場所省略)玉田さん”をみんなが知っているのです。

帰りの電車、アルコールが入っている人も多くて、耳をふさぎたくなるぐらい
みんな大声で喋っていた…その話を嫌がおうにも聞かされて、思ったんです。

「自分としては柏でやっているように得点もアシストもできるようになれば、
みんなに満足してもらえるのかな」

サカマガで言っていた、みんなの該当者は、レイソルを見ている人ではない…のです。
普段は違うチームを見ているか、それすら見てないかもしれない、でも、こうやって
代表戦があると、なんだかんだの理由でやってくる、青い服を着た大量の人々。
それがみんな。玉田さんは、どこまでも自分らしく伸び伸びと、少なくとも
プレー一つ一つではあろうとしながら、そんなみんなの夢やら希望やらを
背負って戦っているのです。すごいなって思いました。やっぱり代表ってすごい。

柳沢さんとの交代でしたが、むしろ柳沢さんとのツートップが見たかったというのは
私の個人的嗜好による贅沢なのでしょうか? あと、中盤ができてなくて
(遠藤さんのポジション、あれはなんだったんだろ?(^^; セントラルMF?)
何度となく、あっという間にピンチを迎えていましたが、それが中澤佑ニ+
宮本+田中誠+川口能活で対応されていたことに感慨を覚えたりしました。

「体が切れていたけど、結果が出なかったのでモヤモヤがある。
この悔しさはアジアカップでぶつけたい」
―連携は高められたのでは?
「内容は良かったので、日本の良さが生きた。
見ている人たちもおもしろかったと思う」


相棒を選ぶようじゃ、海外移籍なんて夢のまた夢ですよ?(にっこり)


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