Land of Riches


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 2004年05月12日(水)   信条 

おのれの胸へ厳しく問いただせ―その紡ぐ言葉に力はあるか。

イラストあるいは写真サイトで目の保養に励んでいるのですが、文章と違って
瞬間を切り取れるんですよね。特に写真は。文字は、並べないと―読む側にも
ある程度の時間を強いないと、何かを表現できません。読む速度も人それぞれですし。

たとえば、永田充(なんだよこの例は…)という選手を表現するとして、
イラストだったら似せるとか構図を考える、写真だったらどのタイミングで
シャッターを切る…ということ(両方とも自分がやらないのであくまで想像、
やっている人に言わせたら勘違い甚だしいかも。すみません)でしょうけど、
文字でできるのかって。そう考えると映像って強力だなって思います。
人の目に映るもの(人間の実際の視界)に近いから。それでも、また変な例ですが
ラインの高さともなると、表現できるか怪しいんじゃないでしょうか。

その目で見なければ実感できないと思わせるだけの、“真実”が欠落した
強い補完欲求を生み出す文。それが究極の夢、目標。でも私の目と言葉が足りない。

対象を見る目と、それを極限にまで凝縮あるいは削ぎ落とした語彙の選択。

…夜も更けてくると、力不足のくせに、そんな夢だけ見てしまうのでしょうか。
情報・記録と主観・感情は別のもの。普遍的に価値があるものは前者。しかし。

私には一体何ができるんだろう?

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生まれて初めてSuicaで買い物しました。ちょっと感動(笑)今週後半は
健全に練習にも行けない生活を送りそうです。一歩ずつでも前を目指します。

ゴミ出しのタイミングがつかめず玄関先にためこまれるのは、新年度の
ゴミ出しカレンダーがないのが原因だと断定し、もらいに行ってきました。
ついでに、レイソル情報のある地元のミニコミ紙をいくつかもらってきました。
いくつかピックして載せる予定でいます。無料だからってなめちゃいけません。
見出しが「勝利への意欲はどこへ!」なんてセンセーショナルだったり。

最近パーソナリティとプレーは別物だと気付けない人が一部にいるようです。
両者は密接な関係にある、というのが私の持論ですけど、イコールではありません。
プレーを批判することとパーソナリティを批判することは、全く意味が違います。

ファンタジスタは分かりやすそうで、実はかなり奥深いですよ、プレーも言葉も。

ところで、発券してもらった席が前の方過ぎて、いつもほぼ最上段近くしか取れない、
練習でも上へ座るのを好む私はどうしたらいいかと途方に暮れてます(苦笑)

あと、一緒についてきた永田さんのカード、写真がアウトオブプレーながら
髪がぼさぼさで口が微妙に開いてるしょうもない姿なんですけど、裏の褒め殺し文ともども
かっこいいとメロメロになっている私はビョーキなんでしょうか…永田さんってカッコイイ?


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