Land of Riches


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 2004年03月05日(金)   評価対象外 

たおやかな指が10本揃って、頬に触れる。
微かな熱が皮膚と皮膚の間を駆け抜ける。
たとえ距離がゼロになっても、違う生き物だと知らしめるように。
「ごめん…」
包み込むような深い声―こんな、吐き捨てる詫びですら。
「どうしたらいいのか分からない。一緒にいたいのに」
違う、力が足りないのはこちら。同じ場所にいられないのは…。


純愛小説って、何歳ぐらいまで読むことを許されるんでしょうか(苦笑)
いや、普通は人生経験を積むにつれ、そういうのが正視できなくなって、
もっと汚れた愛、陰に潜むからこそ熱くなる情へ惹かれるんでしょうけど。
…私はまだ清らかな恋愛が読みたいです(爆死)

ZEPHYRのリンク先サイトマスター様へメールを出したのですが、想像以上に
デッドリンクが多く(まさか半分以上とは…特に番地時代のジオは、うちの
S-MINDもそうだったですけど、ある程度更新しないとアカウントを剥奪して
“新住人”を入れてしまっているので尚更切ない)他にも、うち同様に
更新停止だったり、バレーや映画にジャンル替えしてたりと、ぶっちゃけ
リンクした当時と同ジャンルで今も稼動中のサイトは、ほとんどありませんでした。
自分でボールを蹴り始めたら見る習慣をなくしてしまった人もいました。

岡田監督が古田さん平尾さんとの対談本で、サッカークラブは変わっていかないと
ダメになってしまうから監督をすぱすぱ替える、同じ監督が長期にわたって
指揮を取っているクラブは選手をガラッと入れ替えている、と言ってました。

自分もユース代表の2年周期が合ってると痛感するような飽きっぽい性格で、
あちこちをウロウロしているから、同じ選手同じクラブを応援し続けている人を
尊敬すらしたくなります。だから、今、一番怖いのは、こうやって手に入れた
“今の暮らし”がどうでもよくなるような心境になることです。同じクラブで
好きな選手が見つかり続ければいいのですが…それは必ずしも保障されない…。

かなり前に古本屋で買った講談社学術文庫の『ウィトゲンシュタイン』を
やっと読み始めたのですが、非常に恵まれた境遇で育ちながら、むしろそれゆえに
心理状態としてはよろしくない方向へ追い詰められた彼に共感してしまいました。
私は今までその著作(論理哲学論考)しか知らなかったので、すなわち私の
あまり好きじゃないテキスト論でのみ評価していたので、何だか嬉しかったです。

物事のごく普通の成り行きの中で彼の関心を惹いたものは、ほとんどどれも
彼に喜びを与えず、その多くは彼の心の中に悲痛とも言うべき感情を喚び起こした。
我々が散歩している時、彼はしばしば立ち止まり、「ああ、何ということだ!」と
叫んで、あたかも人間の世界に紙の御手の加わることを哀願しているかのように、
悲しげに私を見るのだった。
(上掲書より、友人の回想抜粋)

精神病理学的内因性に起因する恒常的な憂鬱―その表現が指す学術的な意味合いは
全く分からないけど、感覚的にそれがどんな状態なのか“理解”できるのです。

全然関係ないですが、私はすべきことが決まってないとダメな人間ですね。
朝起きるとその日何をすべきか確認する…その強迫的作業がないと、たとえば
複数のウィンドウでチャットをしていて、片方へのめりこんでしまって
もう片方を完全に忘却してしまうのです。一度に複数の作業ができなくて、
次から次へと移り気に作業を始めて(やらなきゃいけないことはたくさん
発見できるんだけど、そこで始めても続かないし、始めなかったら二度とやれない)
何一つ完結しない中途半端さ、いい加減さ。それは自己へ限りなくストイックであるべき
フィロソフィストには向かない素養なのです。もっと自分と厳しく向き合わないと。

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季節限定の抹茶塩ポテチ、まずかったです…(涙)

同僚には悪評高い柏支店で、数少ない人格者とされているスタッフとケンカして
帰ってきました。なんで日立台行った後あんな目に遭わなきゃならないのか…。

私は自分が悪いと思ったらもちろん謝るし、あまり悪くなくても謝らなければ
先へ進めないことも生活には多々あるのは知ってます。でも、自責を覚えるのは
当然ながら自分の非に対してのみ。噛み合わない“懲罰面接”を物別れで終えて、
事務所を出てきた時に気づきました。いくら会話のスキルが劇的に低下してるからって
あんまりな自分ですが―私が必要以上に低姿勢で謝る意思を失ったのは、向こうが
「人としてどうなんですか」と言ってきたから。つまり、情へ訴えてきたから。

頼まれ事には弱いです。でも、仕事へ情を持ち込むのは嫌いです。会社で
親しくなった人は友達ではなく同僚。もちろん、能力的な連関以外に、
心情的なつながりもあった方が仕事はスムーズに進むとは思います。

でも、この会社は体調不良でも無理やり働かせたり、ああだこうだとケチをつけて
タクシー代を自己負担にしたり、あげく、ちょっとした書類の問題で
不払いに踏み切る(全てが私に起きた出来事ではないです)という、血も涙も
流れていなさそうな態度で―不条理な規則(最初にちゃんと説明しない)を
振りかざし、それに従えと強要してきたのですから、私は、そんな情に
訴える方向ではなく、仕事上の過失をあくまで反省文書かせて冷酷に
処理させられていたら、逆に謝れていたかもしれません。一貫してないのです。

人格者なんかじゃない、ちょっと個人的に仲良くなったスタッフを贔屓するだけ。

つまり、私は支店スタッフのこれまでの行動から、彼らを感情を有した
固有の人間として見ていなかったのです。人でなしに、人としてどうだと
言われても…そして、すみませんと謝って済むなら、懲罰制度はいらないのです。
1回謝るのと100回謝るのに何か違いはあるのでしょうか? 反省文は、
同じ過ちを起こさない対策を立てるために理性を持って記すべきものであって、
別に紙が埋まるまで「申し訳ありませんでした」と書けばいいものではないはずです。

前の会社の、同僚に出張が歓迎されていた、厳しいKチーフを思い出しました。
送別会で初めて…上司と部下という縁が切れたから語ってくれた本音。
個々人の感情と、仕事をする上での連携には、直接関係はあってならないのです。
あまり企業規模で良い悪いを言うのは好きではないんですけど、割合の問題で
母集団が大きいほど、人間的に尊敬できる同僚・上司と出会える可能性は高くなります。

ああ…嫌なことを書いてしまった、我ながら。そんな感じで柏駅方面へ出向いたので、
今日の昼ご飯は麺屋こうじでした。すぐ後ろに、向かいの柏郵便局の主任さんがいて、
店員に「すいていると郵便局の方も結構いらっしゃるんです」と言われてたんですが、
どこがじゃ、という感じの行列。しかも食券販売機で反射的(…)に押していた
一番左上のボタンは、つけめん。しまった…と思いつつも面倒で、そのまま
つけめんを食べることに。まずスープ…個人的に好みじゃないけど(どうやら
私はギトギト豚骨派のようです)濃くておいしいし、麺もさすがの好食感。

でも、一番ヒットしたのは食後の杏仁豆腐! このしっかりとした甘さまで
トータルで味わってこそ(スープの味とのコントラスト)でしょう!
デザート情報を下さったSさんに感謝しなければいけませんね(^^)

食べ終わった頃には、入った頃より列は長くなってました。やはり、入った時は
あれでもすいていて、運が良かったようです(苦笑)今度はもりそば食べるぞ!
インフォメーションセンターにはスポーツキッズしか置いてなかったから、
同じ東上町にある柏市民新聞社へ殴り込みすることになるかも?!(笑)

…書くのに疲れたので、本題はもう適当に(死)今日、午後はサテ練で
(ちなみに場所は野球場でも一番芝の薄い、土埃が舞う所)誰がいるかを
確かめたいだけでのぞいてきたんですけど、こんな感じでした。

参加者:清水・ピント・平山・落合・茂原・永井・宇野沢・矢野貴・矢野哲・
中井・菅沼・石川・小林・広庭

1)GKはキャッチ練習、フィールドはコーンの周りをボールもってドリブル&パス。
2)三人一組でパス交換からシュート。平山&落合は別れてスタッフと鳥かご。
#広庭遅れて登場、一人で軽くドリブルや静止からのシュートなど完全に別メニュー。
3)落合ランニング、平山スタッフと左足パントキック交換、他は5対5。
石川・小林・中井・茂原・矢野貴 vs 矢野哲・永井・宇野沢・菅沼+スタッフ

今日は決戦の日らしいんですけど、ほとんど感慨がわきません…。


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