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あれは6月の出来事―チャットで言いたい放題やるだけの間柄だった人たちが、 街を自転車で走っていると、レイソルがこの街にいたら練習見に行くのに、 早く帰ってこないかな、と頻繁に感じる自分へ、ちょっとビックリします。 たとえ前日に発表されたままのメンバーだとしても今(本当につい先程) BSで場内の派手すぎる映像を使った日本代表メンバー紹介を見た時、初めて…かな、 予選が始まった、と緊張を覚えました。テンションが上がったんです。 Sさんの日記を見て、気がのらないなあと思いながらユニを着たんですけど、 やっと、今日は特別な、大事な試合だという実感がわいてきました。 ジーコジャパンになってから初めて、ようやくといいますか、マジメに見れそうです[19:11] 試合が始まってから思ったのは、やっぱり五輪代表の予選は行こうと(幕張から 国立まで何分かかるか知りませんが…)いうこと。上で、頭では分かっても 気分が乗らないなんて書きましたが、画面左上の数字が増えるたびに高まる 不思議なパッションはやはり理屈とは連動してなくて、あの興奮は、脳が 記憶しているのではなくて、肌がもっと深い部分で覚えているんだと悟りました。 理屈はしょうもない試合と一蹴するけれど、魂の奥底に刻み付けられた何か、 得体の知れない…サッカーが好きだという大元の熱情が反応するのです。 まあ、それをかきたてるようなヒヤヒヤする前半だったのは確かですが。 ワールドカップに出なければ、予選を突破しなければしょうがない―高原さんの 言葉が全てでしょう。今までの経過がどうであれ、最終的な評価を決めるのは オリンピックの予選を抜けられるかどうか。どんな過程も、突破できたか できなかったかの二択の前には、霞んでしまいます。そして、今までに どんな試合をしていようと、目指してきたのは最終予選であり、最終予選は 理由をつけて回避することもできず、その試合が来たら応援するしかないのです。 本大会とその予選で出した結果(スコア)が全て―それがナショナルチーム[20:22] ついに私は7年前の記憶を取り戻しました。記憶というか、感覚を。 全く点の取れない代表に、焦り始めるスタンドと放送席。けれど、私は 取り付かれたように同じ言葉を胸で繰り返していたのです―まだ終わってない。 そう、それが7年前の秋、どれだけ辛いことがあっても、傷ついても、 何のあてもないと知っていても繰り返し言い聞かせていた言葉なのです。 だって、あの時は諦めなかったから終わらなかった…フランス行けたんだから。 私はそれを知っている。覚えている。サポーターが持てる唯一の武器。 いろいろな感情が蘇ります。初対面のオフ会で、私を絶対相馬直樹主義者 (この単語自体懐かしすぎる!)と知りながら、それでもなお面と向かって 相馬さんの悪口を―「相馬は日本の土を踏むな。中央アジアに骨を埋めろ」と 言われ、本気で刺し違えようとさえ誓った夜。千駄ヶ谷の夜に舞った歓喜。 ごちゃごちゃ振り返ったり分析したりは、終わってからすれば良いのです。 次の試合が始まるまで、私も文句を言い続けるのでしょうから。それでも。 長い長い道を歩いていく灯火が私の中でついた、だから私は代表と歩いていく[21:22]
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