Land of Riches


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 2004年01月05日(月)   名門の誇りと呪縛 

市船というプライドを持って―ミーティングで田中くんはそう言いました。

競技場へ着くと、広場の一角が区切られていて
そこへ女の子たちが群がっていました。
視線の先は、円陣から散って自由にアップする
市船のフィールドプレーヤーご一行。
増嶋くんやカレンもきっとその中に…。
でも、私は全然違う方を見ていました。
目の前のゴール、そこにいる何人かのGK。

「あきらー!」と声に出さず盛り上がる一人と一匹(ポンペイ)―そこには
佐藤優也くんもいるのですが、見てる奴なんていやしません(泣笑)
私は羽田くんを見てました。不謹慎というか、失礼なのは分かってるんですけど、
本当にお兄さんと似てるんです。これが羽田家のDNAかぁ、って納得できる、
いわゆる犬顔。お兄さんの顔を少しばかりきつくすると羽田くんなんです。

羽田くんって、顔もさることながら、歩き方とか細かいモーションがお兄さんと
そっくりなんです。高橋くんのミドルが惜しくも外れた時、グローブはめた
両手で口を覆った時はどうしようかと思いましたよ。だって、鹿児島で見た
お兄さんの“本山さんにしか許されなさそうな可愛い仕草”で私は落ちたんですから。

正月休みが終了し、さすがに座席部分が全て埋まった3回戦より観客は少なめ。
3回戦でも苦戦した市船ですから、楽な戦いになるとは思いませんでしたが、
想像以上に苦しい時間ばかりが続きました。以下、ほぼ現地で打ち込んだままです。

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市船はサイドから攻めようとする意図は伝わるが、フィニッシュまでいかず。
むしろ、攻撃がいったん切られてリスタートになるのを歓迎している節がある。
鹿実は市船よりも惜しいチャンスがあったものの、全体的には当初の予想通り
互いの潰し合いに終始。前半終了間際、左サイドを爆走した高橋が倒され
ペナルティエリアすぐ外でFK。修人がサイドネットへ直接入れる。

カレンは、なぎ倒したりぶち抜いたりの突破力はあるが、それしかない。
増嶋は、どっしり構える渡辺に後ろを任せて、前試合より当社比300%積極性を
増量した守備。市船はカレンでも増嶋でもなく、修人のチーム。

後半25分、リスタートで右サイド(市船の左サイド)からクロスが入り、
ゴール正面で鹿実・山下の頭が上に来てゴールイン。
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市船といえば鉄壁の守備が伝統で、その象徴が増嶋くんなんですが、実際は
増嶋くんは(3回戦で精彩を欠いていた反動か明らかに気負ってはいましたが)
がんがん上がっていってしまって、後ろに控えている渡邉広大くんが
実質は守りの中心でした。そして右サイドにいる寺田雅俊くんという選手が、
地味にカバーリングで何度もピンチを積んでいて、選手権通して市船では
最も印象に残った選手だったりします。さりげなく守備がうまい選手って
本当に好きですね。ただ彼は攻撃ではあまり貢献できなかったかもしれませんけど…。

一番目立っていたのは、鈴木修人くんだと私は思います。市船の攻撃が
リスタート任せのようなけだるさ(不適切な表現だとは思うけど、どう見ても
マイナスのニュアンスを盛り込まざるを得ないのです)を漂わせる中で、
当のリスタートを担当するキッカーである修人くんの双肩、じゃなくて
両脚にかかる比重があまりにも大きいのです。カレンに決定力があって
ここぞという場面で決めてくれたら、エースの称号にふさわしいんですが、
彼はあくまでチャンスメーカーであって、フィニッシャーではないのです。

3回戦に続き、増嶋くんは終盤、前線へ上がってFWやってました。けれど、
それがターゲットになるわけでもなく、逆に彼が市船という組織から
浮き上がって―焦りという輪郭で浮き出された―いるように見えました。

これも3回戦と同じ―石渡監督は、高校サッカーは最後の10分が勝負だと言った、
でも、それは終盤にドローだとPK戦を連想する、そしてPK戦に滅法弱い
染み付いたイメージゆえの、結果論としての発言にしか聞こえないのです。

私は、天皇杯3回戦を柏の街頭で見るまで、市船がPK戦に弱いのを忘れてました。
しかし街頭の人々―それは地元住民でなく柏サポあるいは大宮サポかもしれないけど、
ともかく人々の多くが“それ”を知ってました。そして市船は横浜に負けました。

柏の葉のスタンドでは、もっと多くの人がそれに気づいて、囁いてました。
知らず知らずに形成される空気―選手権にここ11年で9回出場して4回優勝、
それ以外の5回は全てPK負け、PK戦での勝利は羽田キャプテンが後に最も印象的な
ゲームだと挙げていた準決勝の前育戦の一度のみ。それは事実、けれども、
市船の歴史とはいえ、今プレーしているイレブンが築いたわけではないのです。

私はというと、ポンぺイが前育戦の話をするので、それだけを信じてました。
弱いだなんて、嘘だ、まやかしだって。9回出場して…は帰ってから知ったこと。

増嶋くんたちのチームはPK戦に勝ったこともあるのです―でも、4人目の
キッカーにPKが得意だという上田くんをわざわざ起用したことも含め、
私は何も知らず、ただ見つめていました。上田くんが外した時、修人くんは
ジンクスが脳裏をよぎったようですが…でも、沈み込むスタジアム(くどいですが、
場内全体がそういう雰囲気に流されていました)にあって、一人、上田くんを
迎えに行ったのは、やはり増嶋キャプテンでした。最後まで見ろと告げながら。

そして佐藤優也くんが止め、増嶋くんが決め―この時右手にキスをしながら
応援席に応えたのだけれど、もともと気性の激しい人だけど、この日は誰よりも
気合いが入っていたなあと思います。そして6人目…PK戦はくじ引きのようなもの、
勝った負けたと言うものではないとされるけれども……市船は負けました。

呆然とピッチを眺めていました。泣き崩れるイレブン。挨拶もまともにできなくて。
フードをすっぽりかぶってしまって、誰が誰だか分からなくなりましたが、
メディアの動きでカレンは分かりました。感情表現が率直なのはハーフゆえか…。

そして、最後の最後までのろのろとピッチを歩く選手を、プレスは追ってました。
これが増嶋くんだと悟りました。後に雑誌記事になったところによると、
「まだみんなとサッカーしたかった」と思った増嶋くんは、芝の外へ出るのを
嫌がっていたのです。もう二度と、市船サッカー部のキャプテンとして
芝へ立つことはないのですから―市船のサッカーができていたら。

増嶋くんの想いは石渡監督ではなく、鹿実の松沢先生に近いものがあります。
しかし…よほど帰ろうかと思いながら、こうやってぼんやりと眺めていたピッチで
永田さんと“出会った”ことを思い出し、踏みとどまりました。どうにか。

そこで思い知らされたのです―攻撃的な笠工とスピーディな筑陽、どちらも
ガシガシと攻めてピンチ/チャンスの連続というゲームが、いかに面白いかを。
(笠工も最後の最後まで諦めなかったし、筑陽は桑原くんを筆頭に素晴らしかった)
第1試合も激しかったけれど、それは単にせわしなかっただけで、興奮を
生み出すものではなかったのです。今思うと、鹿実の点取り屋・永嶺くんとて
どこにいたんだろうと首をひねるぐらいです。市船は…市船のサッカーを
ちゃんとしていたと思います。ガチガチに守れて、でも点を取れる気がしない。

増嶋くんはどんなサッカーを愛していたんだろう―布先生が指揮していた頃より
選手に任される部分が増え、自由になったと言われていた石渡市船だけれど。
でも、それはもはや言ってもせん無きこと。今はただ、次のステージでの
活躍を願うのみ―青赤のユニフォームをまとって、味スタで飛躍する姿を。

writing finished on 2004 1 16


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