Land of Riches


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 2003年12月31日(水)   磨り減る時間 

だから大晦日に締切だなんて無理があったんだよ!―と安易に同意してしまった
過去の自分へ、発散しようのない怒りを覚えつつ。くそっ、フリーズさえなければ…。

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年末年始に働くことへの抵抗はないです。今日も市川の倉庫へ―なので、
毎年恒例のこの企画も、暇だった前日にあらかじめ書いておいたものを
貼り付けたかった…のですが(ぶつぶつ)まずは毎回お約束のプレイバックから。

▼2000年
第3位:9人合同運営によるユース代表応援サイト「SeeTheSky」開設
第2位:1週間サッカー漬けの“ソツキ”
第1位:アントラーズと順天堂大学の練習試合…後

▼2001年
第3位:1stステージ・名古屋グランパス vs 鹿島アントラーズ
第2位:チャンピオンシップ・ジュビロ磐田 vs 鹿島アントラーズ
第1位:羽田憲司選手、ワールドユース直前に骨折!!

▼2002年
第3位:ワールドカップ、日本代表予選リーグ突破
第2位:高校選手権3回戦、東福岡/静学
第1位:新横浜駅新幹線改札での遭遇

既に2001年の第2位が霞んでます。鹿島と磐田の決戦は数が多くて、なのに
はっきりと覚えているのは97年や98年だったりするのです。なぜだか。
そして、1年前にも書きましたが、2002年下半期から明らかにサッカーの
見方が変わってきています。今年のランキングもその流れを受けてますね。

第3位:サテライトリーグ・ジュビロ磐田 vs 柏レイソル
具体的には、前半と後半の開始直後に炸裂した菅沼くんの秒殺弾です。
日本にもこんな簡単にシュートを枠へ飛ばすFWがいるのかと思いました。
(私の好きな選手にFWが少ないのは、いわゆるFW的なガツガツした性格を
好まない以上に、試合中に最もフラストレーションを募らせるからのようです)

カミングアウトすると、前半のは私も両チームのメンバーを把握するのに懸命で、
試合へ入り込めてなかったんです。そこで決められてしまったから、後半は
気を抜いちゃダメだと思ってたら…またしても。しかも、このゴールが
綺麗だったんですよ。柳澤くんから出たボールを中井さんがキープしている間に
右サイドでは矢野哲也さんが上がってて、そこへすっとパス。入ったクロスを
菅沼くんがネットへぐさっと。絵に描いたようなサイド攻撃でした(^^)

ワンダーボーイ菅沼くんにやられてしまった私は、この後、いろんな場所へ
彼を追いかけていき、そこで違う選手へ興味を抱くことが何度もありました。
U-18合宿では増嶋くんと出会い、レイソルユースを通しては物好きなヤクザさんしか
行かないと決め付けていた全クラやJユース杯へ足を運ぶはめになり、
いろいろ楽しい体験ができました。そういうわけで、今の私を語る上で
菅沼くんは不可欠なファクターとなっています。無論、彼自身のプレーでも
神戸で初ゴールを見て狂喜乱舞するという素晴らしい経験をしましたし。

ただ、それだけのエポックメイキングでありながら、LRやそれ以外の場所でも
(この一週前にあったグラン戦は身分不相応にもかの「ひしゃく」BBSへ
簡易レポを書いてしまっていたりする)この雨の中の試合―傘を持っていかなくて
浜松駅で慌てて小さな折り畳み傘を買ったからよく覚えている―について、
まともには記載していないのが、我ながら不思議です。同じく浜松駅で買った
無印のグレーのノート編へメモを取ったのも覚えているのですが、このノートを
仕事で使うためにメモの部分を破り捨ててしまったのも、記憶の中にあるのです。

第2位:永田充選手、超飛び級でフル代表に抜擢!
昨年の2位も永田さんなのですが、「世界に飛躍するだろう2003年も見続けて、
らしさを探したいのです」という記述がありました。ここで言う“世界”は
ワールドユース、そして多少はその後にやってくるはずだった五輪代表を
意識していたと思うのですが、事態は全く予想外の方向へ進みました。

そもそもユース代表との接し方一つにしても、2月時点では顔も分からない選手が
かなりいたのに、あれだけ合宿の練習試合へ足を運んでしまいました。
更に、大会延期によって本来は五輪代表イヤーとなるはずが、ほぼ乖離状態。
五輪代表は壊され続けて、私には全く魅力ないチームとなってしまいました。

とはいえ、その五輪代表へU-20世代も多くが招集される中、全く声のかからなかった
永田さんが、10月3日に突如追加された時は、とにかく信じられませんでした。
それも、あのヤマスタでのフィード(あまりに鋭すぎて宇野沢さんが目測を誤り
秀人さんの頭とぶつかったもの)が目に留まって抜擢されるなんて。

得がたいチャンスが、必ずしも歓迎できるものでなかったのも、忘れられません。
友達と出場機会のないフル代表参戦、同時に進んでいたU-20でのレギュラー喪失。
U-20では1年を通し不安定な状況に置かれ、ファンとしては一喜一憂でした。
(いろいろありましたけど、結果としてワールドユースを終えた時の笑顔が
柔らかかった―TBSの総集編のラストシーンで―から、彼にとってのU-20は
それほど悪いものではなかったのかな、と思いました。勝手な推測ですが)

それに対して、レイソルでの地位は負傷離脱以外は揺るがず、けれど代表合宿での
捻挫がもとで少なからず離脱したのは事実で、来期の目標がフル出場なのは
うなずけるところです。もともとレイソルにはフル出場が少なすぎるんですが。
(これで私がレイソルに傾倒していったというのも間違いではないような)

レイソルでの永田さんと代表での永田さん―来年はますます前者の比重が
残念ながら上がってしまいそうですけど、もっともっと上へ行ってほしいな、と
願うばかりです。レイソルはすぐ上にあがれる分、ぶつかるのも早いから…。

第1位:ホームタウンへの引っ越し
トップにやたらプライベート(私にとって)な出来事が入るのもお約束?
しかし、1年前はようやく療養から抜け出して、働くぞ更正するぞとだけ
思っていた私が、まさか一人暮らしを、それも予想もしなかった土地で
始めてしまうとは、正直ここ数年で最も特筆すべき事項かもしれません。

たった1年で違う色のウェアへ腕を通すためらいも消えうせるほど
通ってしまったのです。体も心も。飽きやすい私ですから、今後どうなるかは
怪しいのですが―そのうち小平市へ引っ越したいと言い出しそうでもありますし。

東京に住んでいた頃さえ、鹿嶋はアウェーで、2ヶ月に一度のペースでしか
足を運ばなかったのに。今は自転車で10分、週に5回行ってしまったこともあります。
引っ越す前も菅沼くんと同じ日程をうんぬん、なんて時期もありましたが。

この引っ越しがなんだったか分かるのは、来期になってからでしょう。
少なくとも、鹿嶋が想像していた以上に近くなったのだけは確かです。

…眠くなってきたので、自分でも何をタイプしているのか、よく分かりません。
フリーズする前は、もっとちゃんとした文章を書いていたのに…(しつこい!)
まさか選手権開幕戦の育英対決が始まる時間まで起きているとは思いませんでしたよ。
早く寝ないと仕事に差し障る…群馬の育英の録画は、きちんとセットしました、
今度こそ!(笑)本当はBS朝日である全日本ユース決勝が見たいんですけどね。

それでは皆様、よいお年を。


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