Land of Riches


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 2003年12月07日(日)   不干渉・不感知 

ようやくPCと向い合う時間が取れました。といっても、行きつけの某カフェからですが。
今回の引越費用は、2年前に地球の裏側へ行くつもりで貯めたお金を回しました。
多くが備品だった東京時代と違い、色々買い揃えたので生活感のある部屋となりましたが、
(単純な部屋のサイズもかなり違います。今度の部屋はキッチンやトイレなど、
あまり使わないところになぜか収納スペースのある、そこそこ広いところです)
PCを新調するには別途貯金を取り崩さねばなりません。もちろん、そうしなければ
生活に支障が出るのは既に現在進行形で明らか(今の時期は1年で最もサッカー界が
激しく動く時期なので、ついていけないのはあまりに辛いです。移籍関係はおろか
天皇杯で市船が勝ったことでさえ、知ったのは22時半過ぎ、ここへ来てからです)なので
買わざるを得ないんですけど…保証人になることを承諾してもらうまで、色々と揉めた
両親の理解もあり、予想していた以上にレベルの高い生活環境を手に入れたのですが、
それを維持するために今後懸命にならないといけないので、頭が痛いです。

親不孝な子供ですよ、私は。

ここ3日間、持ってきた荷物の整理や買い物に追われ、息つく暇もありませんでしたが、
1人になった瞬間―それを自覚できた時は、到着した際でさえ感慨がなかった程
歩き慣れた駅前の風景の只中にあったのに、なぜか涙が止まりませんでした。
自分で望んで選んだ道なのに。そのまま部屋へ歩いて帰って、泣いてました。
そういえば、ここ何年と泣いてなかったのに、揉めてる段階でも号泣しました。
ステモの、何階だったかな…子供用の品が売っているフロア、お約束のごとく
駄々をこねてわんわん泣いている子供が何人もいたのですが、今の自分は
それとあまり変わらないのかもしれないと思いました。全く同じことを、大昔、
自分もしていた記憶がほんのりあるのです。買ってほしい、買ってくれないと帰らない、と。

それでも、J-COM東関東のReysol TIMEを自宅のTVでまじまじと見つめ(これまでは
駅前の大きなビジョンでしか見たことがなかった)その偏りっぷりをまじまじと味わい、
また自分へ何かを言い聞かせるようにチームショップへ行き、明日はとうとう…やっと
日立台へ行こうかと思っているのです。自転車で。それも買ってから30分もしないうちに
転倒してベルを壊してしまうという、某Sさんも真っ青のリカっぷり(この表記、
意味が分かる人はどのくらい残っているんだろう?)を発揮してますが、直後には
ぶち切れてすごいことになっていた自分も、あの道の恐ろしさ(車道は常に大渋滞、
歩道は極度に細く凸凹だらけで飛ばすと間違いなくやばい)をベル1個で学習できたなら
良しとしないと、と考え直していたりします。他にも壊した細かい物は結構ある、
だけど明日からもとりあえず生きていける、自分のために生きる時間があっても
いいじゃないかと考えてこっちへ来たんだから、そのために頑張らなきゃいけない。

もっと書きたいことがあった気がするのですが、忘れました(苦笑)心身の疲労で。
一通り引っ越し関連の作業は終了した(でもお金が絡むものは明日か…)ので、
明日からは生活するための努力をしないと、本当。ここにだってそうは来れないと思います。
いつも朝が多かったのでガラガラなここも、今は空きがないぐらい埋まってます。

1人になった瞬間、この街は私の中で意味を変えた―ここはもう、アウェーじゃない。
私が帰る場所は、ここなんだ。

ちなみに、この地方は祖父が若かりし頃、ゆえあって住んでいたこともある土地らしく
全く無縁ではなかったようです。何はともあれ、分別表を見ないと分けられない
ゴミについて慣れるのが先決です。紙袋で捨てるってかなり予想外の事態…。

天皇杯3回戦、体が3つぐらい欲しいです。そんな贅沢も踏ん張りと理解あってこそのもの。
もっと強く自覚して、やっていかないと―やっと住所は覚えたものの(ついでに
今まで全く覚えられなかった自分の携帯番号も、書きまくっているおかげで覚えました)
郵便番号をすぐ忘れてしまうのですけれど。どんどん記憶力が衰えてますよ。

本当は、このLRへ書きたいと思いながらかけていない出来事がいくつもあるのに。

さて、またこれから寒い中、自転車こいで帰りますよ。誰もいない部屋へ。
散々迷った挙句、黄色と黒のカレンダーは買えなかった意気地なしです。
でも、部屋にはえんじ#14のサイン入りシャツが飾ってあったりもします。


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