Land of Riches


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 2003年06月17日(火)   眠りの森の醜女 

去年のワールドカップのアンセムを聴いていると、代表の実力と人気はどうしてここまで
低落してしまったのだろう(私の中で、ではなく、一般的に)と、嘆きたくなります。

LRは私が思っていることを書き留める場ですから、ここが私を知るための最短手段だと
私自身は考えているのですが―人の視点はそれぞれ過ぎて、よく分かりません。
私の叫びは私が発するもの。他の人にとっては、それは聞くだけのもの、ですから。

真実からは嘘を 嘘からは真実を 夢中で探してきたけど

フランス(最終予選と本大会。後者はオマケというか、賞品のようなものだったのかも)で
負った傷を癒してくれるかに見えた“光”が、近づいたらあまりにも眩しすぎて、
追いかけられなかった私の前に現れた“うりふたつの幻影”。それへのめり込み、
必死になりすぎて全てを一緒に失い、長く伸びたその影から切り取ったCBたちの中にあって
今、一番面積が大きいのが“永田充”なだけなのです。バックラインへの、守備動作への
過去には明らかに存在しなかった“執着心”はそのまま、過去を見る私の眼差しなのです。
…ただ、これまでと違うのは、永田さんが鹿島ではなく、柏の選手だということ。

夢中になれる対象をなくした私には、熱狂的なサポーターや、それと同じような
心情を抱いて毎日暮らしていた過去の自分が、なかば羨ましくもあって。
幸福は、間近にある時は不幸の仮面をかぶっているのです。おそらく。
あらゆる感情をこうやって定義し囲い、その存在を裏打ちすれば、それはさして
怖いものではなくなるのです。土曜の夜は、新宿某所でその作業を延々と続けていました。

仕事中でさえ暴走しそうになる“ココロ”を私は知っているのです。名を与えるなら、
鬱病という―これで医者にかかると、ひたすら薬を飲み続けるのも知っている、
対症療法が結局は解決にならないことも知っている、だから、かつて主治医は
「飲むのを打ち切ってまた鬱になると、簡単に薬が効かなくなる」と言っていたのです。
鬱のリバウンドではなくて、メカニズムを知ってしまったから。しかし、どんな一日でも
薄い紙を積み上げれば破れなくなるのと同じと言った布先生(監督だなんて呼べない…)の
言葉よろしく、毎日悩み苦しみもがいた経験は、私の中でノウハウとして蓄積されています。
そして、この世に生きる人間は誰でも多かれ少なかれ同じ道を歩いているので、
(ただ程度が違うだけ。私はいつも悩んでいると言われる人間ですが)
互いにノウハウを融通しあうのです。愚痴り愚痴られ。ああ、それが生きるということか、と
何か悟りにも近い小さな灯を得て、家へ帰ってきました。これだけでも良かったじゃないですか。

出勤前、哲学書へしおり用の聡太さんカードを慌てて入れたのは覚えていたのですが、
そこに何故かマイナスイオンリングが挟まっていたのには、昼休みに唖然とさせられました。
なんという意思表示。もっとも、ソーダライトをチケットホルダーへつけたのを忘れて
なくなったと大騒ぎするダメな私ですが。毎日毎日、脳細胞が死滅していきます。


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