Land of Riches


IndexBeforeAfter

 2003年04月08日(火)   思い込み 

久々のLRです。書こう書こうと思ってはいても、キーを叩く気力がなくて遅くなりました。
以前はこのLRへ文を書き散らすことで、鬱積した思いを晴らしていたんですけど、
今はどうやら違う発散法を確立した模様…お付き合いしていただいている方々には
ご迷惑をかけておりますけれど(笑)常日頃、必要とされている感覚に乏しい私にとって、
たとえ黒い点の集合体である文字の羅列のみによる―互いの顔も名前も知らない関係でも、
欲せられていること、感謝されていることは、とてもとても嬉しいんです。

で、ここ最近、何をしているかといえば、単純作業(確かに、地道な作業に対する
耐性は人並み以上と自負しているけど、それを履歴書へ書いてしまったばっかりに
一日中印刷機の子守りをしたり、スタンプを押し続けたり、キーパンチをしたりなんて
チームの中でも最悪レベルの作業ばかり続けて、相当消耗しています。そうそう、
この過程で私は音に対する耐性が異常に低いことも発覚。掃除機もダメ、選挙カーもダメ、
電車の過剰なアナウンスもダメです、そういえば)の合間を縫って、角田誠サマの
追っかけをしているのが正直なところで。明日も退勤後に瑞穂へ向かいますが、
開幕戦以来3戦連続サンガ、その間にあったU-22だって「角田がいなかったら豊田市駅から
走らなかった(注:タクシー乗り場を探す手間を惜しんでダッシュを選択。この疲労が
どっときて壊れてしまったのが前回のLRです。代表ユニ姿で走ったから視線も集めて…)」とまで
言い切ってます。ストッパーをしてもリベロをしても、もはやありとあらゆる場面で
見応えのあるパフォーマンスをして下さる角田サマ。タッチラインへの追い込み、
DFラインコントロール、フィード、攻撃参加、コーチング、とにかく枚挙にいとまがありません。

よりによってトラブルが発生し、残業してキックオフに間に合わなかったコスタリカ戦ですが、
林さんの危険な飛び出し(苦笑。角田サマは彼を全然信用してないので、ポジションが
かぶぶりまくってました)以外の見せ場は全部見られました。この代表の面々といえば、
昔あれだけ追い回した、ある意味懐かしい奴らなのですが、久々に彼らを見て、
その成長を実感したというか―伝家の宝刀を炸裂させた阿部勇樹さん、守備でその存在を
強く示した森崎和幸さん、鋭いフィードを何本も繰り出した青木さんetc.
「あれから2年」―遼一vs那須のマッチアップの際にAさんの発した言葉ですが、
それを実感したと共に、彼らの良さ(彼らは谷間と酷評されてきただけに、世間の
視線が集まる機会には分かりやすい結果を出さなければならないのです)をフルに
引き出せない指揮官への不満を強く感じました。青木さんと角田さんは一つのミスで
全ての好プレーを無駄にしてしまったわけですが、試合後、鬼の形相で誰も寄せ付けず
見る者をひどく心配させた角田サマは、なんと、この夜は熟睡だったそうで…(^^;


「遼一の出番まだかなあ?」

Sさん撮影、豊スタ2Fのフェンスにかじりついて
U-22の試合を見つめるポンペイ。
待ち受けにしてます(^^)
やぶは、青木さんのパフォーマンスに
SBS以来という腕章巻きもしました。




角田サマを心配するあまり(U-22合宿が宮崎になったために余ってしまった18切符の
消化も兼ねて)日曜はウイングへ行ってきました。ウイングは初めてだったので、
某所にてアクセスマップを出していただいたのですが(大感謝!)そこに「清盛橋」なる
地名を発見して、そもそも神戸を今の姿にしたのは相国様…もとい、平清盛と思い出したのです。
神戸は一の谷(平家物語)に湊川(太平記)と中世の大きな合戦にゆかりのある土地なのです。


生田神社は縁結びの神様なんでしょうか?
ちょうど結婚式と遭遇しました。お幸せに。
神殿の後ろに見えるのが、いわゆる「生田の森」。
一の谷で知盛・重衡兄弟が陣取った森の名残です。
今回悔やまれるのは、知章の墓参りができなかったこと。
そもそもウイングのある「和田岬」だって、
平家が逃げ源氏が追う際の目印となっていた岬なのです。



清盛橋と大輪田橋の間にある清盛塚の像。
もちろんお金置いてきましたよ。
清盛は福原京を愛し、大輪田泊を造りましたが、
ここから兵庫津→神戸港の歴史は始まったわけで、
清盛がいなかったらヴィッセルは「勝利の船」では
間違いなくなかったはずです。そう思うと感慨深いです。



神戸市は図書館の分館さえ*岐阜と違って*
蔵書が充実していて羨ましかったのですが、
郷土資料の棚の大半は阪神大震災関係でした。
こけら落としの記念映像まで、最初はあの火災…。
ウイングはピッチも近くビジョンも見やすいですが、
上だけ空いた体育館のような圧迫感もありました。



そんなこんなで観光もしつつ、試合も楽しんだ(黒部さんの負傷があったからとはいえ
田原さんのプレーを長く見れて嬉しかったです。あまりに動かないので、ただでさえ
すごい関西圏名物のヤジが凄まじかったですが。あれでも昔に比べたら…)のですが、
手島さんの代わりに3バック中央へ君臨した角田サマへ惚れ惚れする幸せな時間も、
後半の途中に松井さんが非接触プレーで倒れて微動だにせず、それで髪を剃った
北本さんがバツを出すというシーンを見てぶっ飛びました。あれから後は見てません。
…まあ、これは結局のところ、松井さんが極度な痛がりだっただけなんですけど。
この試合で靭帯を痛めたのは佐伯さんの方です。マルセイユルーレットの王子様が
痛がっている時は、多少差し引いて見なきゃダメというのが、今回の大きな教訓です(苦笑)

白峯神宮が蹴鞠の神様といわれる由縁は立地に由来していて、別に祭神とはあまり
関連がないんですけど、崇徳帝に淳任帝とは、また私とは縁のある方でして…。
しかし、ここの絵馬がことごとくスポーツ関連なのには、ちょっと驚きました。
愛するチームを思う心は、応援する対象が違えど、変わらぬものなのですね。

と、まあ、こんな感じです。ほとんど試合のこと書いてませんけど、試合ばかりが
サッカーではないというのを痛感しましたので。松井さんのどんな華やかなプレーよりも、
キレかけた田原さんを一声で鎮める姿にかっこよいと思ってしまったり(笑)
だんだんサンガの応援も覚えてきました。このままじゃ本当にサンガファン?!


やぶ |MailWeblog