Land of Riches
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2003年01月03日(金) |
記憶の残し方・印象の刻み方 |
2日夜の箱根駅伝ドラマ、泣きました。23歳で病死した実在ランナーを刺身のツマにする シナリオは批判を免れ得ないと思いますが、そこはあくまで日テレ50年記念ドラマですから。 箱根中継で蓄積したノウハウを総動員して(拓大と学連と神奈川県警も雰囲気作りに協力) 駅伝のシーンをそれっぽく見せることには成功していたと思います。ドラマの公式HPにも そこに一番力を入れていたとあったので…まあ、ドラマの見せ場の作りようはいろいろです。
主人公はフィクションキャラの新聞記者(福山さんテレビ久しぶり…)で、自分の 判断を絶対視し他者を軽んじる人生を送ってきました。自分ではエリートコースだと 信じている道を歩んで。「我は我である」―JAM@雪風ほど極端ではないにしろ、 深井零といいグレイ@ロマサガ1といい、俺は俺キャラが好きで、好きどころか、 そういう考え方が良い(いい、と、好き、は違いますから)と思わなくはない自分には 耳の痛いドラマでした。その性格で周囲をぎくしゃくさせていた主人公は、箱根で 繰り上げたすきをかけ走らなければならなかった苦悩から託し託される駅伝の魅力に 目覚めた若きランナーと彼を取り巻く人々との関係に感化されていきます。しかし、 それまでの自分を捨てるのを拒否した(ここがとにかく私には痛い)主人公は、 ランナーが病に倒れるまで…倒れてもなお素直になれません。自分が辛く苦しい思いを 味わっているにもかかわらず、病床の自分を見て泣く母親へ「死ぬのは怖くないけど、 母さんを悲しませるのは嫌だから死なない」とか、「泣かないで」と頼む息子に いたたまれず顔を洗ってくると言う母親を見て、彼女へ「母さんのそばにいてあげて。 きっと泣いてるから」(これ自分の恋人だったら病人でもビンタしそう、私)と 告げるランナー。弱音をほとんど吐かず前向きに戦い続けた彼でしたが、病魔は その命を奪いました。葬儀後、彼の走った道程を辿ることでようやく答えを見出した 主人公…というハッピーエンドというかセンチメンタルエンドだか分からない話です。
前にも書きましたが、駅伝がドラマチックなのは、連帯感が個人競技主である選手の リミットを超えさせてしまうからです。マラソンを終えた時よりも完走時に倒れ込む 選手が多いのもその一例―今年の総合優勝は駒大でした。留学生を往路に2人投入し 逃げ切りを図った山梨学院でしたが、スペシャリストが必要とされる山の上り下り以外は ほとんどハーフマラソンを走れる選手(実際に走る距離の倍を練習では走り込むはず)を 8人揃えないと勝てない箱根です。過酷すぎるまでに過酷、けれどそれに挑む者がいる限り、 紡がれるドラマに終わりはないのです。歴史という名のたすきの継承―それは人の営みそのもの。
こんなに早く初詣に行くのは何年ぶりだか、それも東海地方では一番の人を集める 熱田神宮へ行ってきました。思ったほど混んではなかったです。露店がたくさん並んでて 楽しそうでした。寄ってませんけど。細かいお金がなくて100円投げました。おみくじも 以前引いたのを返してリトライ。一応「吉」なんですが、心がけ次第で大吉にも大凶にも なると明記されていて、気を引き締め直しました。幸運な方角が西というあたりが なんとも言えません(苦笑)争いごとは負けるが勝ちだそうで。転居は早い方がいいようです。 うむむ。でも一番嬉しかったのは「待人 来る、喜びあり」ですか。待ってますから。
この後、矢場とんでロース味噌カツ食べました。並んでまで(笑)作り方によっては こんなに柔らかくできるんですね。赤味噌に馴染めなかった宮原さんと一緒に行きたいです。 栄の地下街やオアシス21などの変貌に驚いてみたり―つい忘れてしまいますが、街は 生き物です。時と共に移りゆく。Towers Lightsもようやく見れましたが、あれだって 昨年のしょぼいイルミネーションとは段違いです。何もかもが変わっていて、きっと 変わってないつもりでいるのは自分だけなのです。20代になってからの日々がすべて 虚無に思えるなんておかしいのです。強いて言えば、変わるのを拒んでいるだけ。逃げです。
2003.1.4-5 wrote
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